武ニュースDiary
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2013年12月18日(水) |
台湾語の台詞も●追記 |
台湾のりんご日報の記事です。 正面からの学生姿。登場♪(りんごへのリンクからどうぞ) 雨が続いて撮影が進まないようですね。
ジョン・ウーの新作「太平輪」は、このところ台北の陽明山でロケをしている。 本紙は現場で「總舖師――メインシェフへの道」で「水脚A」を演じた陳竹昇を見かけた。 俳優として出演しているのだと思い、尋ねてみると、 彼は台湾語の指導に当たっており、金城武、トニー・ヤン、林美秀らが より流ちょうに話せるよう、助ける役なのだという。
「太平輪」は雨で撮影中断
この映画は日本統治時代である1949年の台湾が出てくる。 金城武、トニー・ヤン、林美秀、高捷、楊貴媚らはみな、 作中台湾人の役なので、台詞にも台湾語が混じる。 陳竹昇は本紙の質問に答え、役者たちは実は台湾語は上手なのだが、 脚本が中国語で書かれているので、その翻訳と文法の修正、 それにそばで俳優達が話すとき、正確であるよう助けるのが主な役目なのだと話した。 金城武は台湾語はどう? と聞くと、彼は、 「彼はもともと喋れるんだ。あれこれしゃべらない契約だから、話せないよ」 とのみ答えた。
現場のスタッフは金城武が台湾語をとても流ちょうに喋るのを不思議がっていたが、 実は彼は台北萬華の生まれで、母親が台湾人、 学校に行っていた頃はずっと台湾にいたのである。 一緒に仕事をしたことのある人が、彼は普段は台湾語で話していると言っている。 昨日は小雨がやまなかったため、 監督はこの機会を利用して他の場所の風景の撮影を行った。 (りんご日報 2013.12.18)
追記 23:10
記事の中に、1949年の日本統治時代、という言葉があるのに気が付きましたか? この記事のコメント欄にも、「初歩的なミスをして」というのがありましたが、 その後で、「日本が台湾を放棄したのはサンフランシスコ条約発効の1952年だから、 これでいいのだ」と別の人がコメントしていました。
1945年には国民党が上陸を開始し、日本軍は撤退していますが、 国民党が政府を樹立したのは1949年12月、 長澤まさみは夏服だから、その年の夏ということでしょうか。 講和条約は1951年締結で、台湾の領有権を放棄することが決められ、 翌年発効したので、おそらく立場によって、いろいろ解釈もあるのだと思いますが、 少なくともケアレスミスレベルの間違いではないわけですね。
そういう時代、ウー監督が一体どのように描こうとしているのかは興味津々です。
ちなみに、金城武が台湾語が上手なのは前から知られていることで、 ニュースになるのか、この記者は知らな過ぎ、というコメントも複数ありました。
BBS ネタバレDiary 12:50
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