武ニュースDiary


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2013年07月16日(火) 「太平輪」製作のいきさつおさらい

「太平輪」という映画についての確かなことは、
製作発表会があるときにはっきりするのでしょうが、
一応、この映画のこれまでの経緯のおさらいになりそうな記事がありましたので、
前半をご紹介します。
(後略)以降は、前に事務所を盗撮してキャスティングを暴露したときの、
配役についての記事とほぼ同じなので省略。
ということは、前半部分も出所はどこか別の記事なのかもしれないですが……。



�狹賤里離織ぅ織縫奪��當惜廚鮑童修垢�

大監督ジョン・ウーは「赤壁」以後、新作を手がけていない。
版権の問題、そしてジョン・ウーの病気により、「太平輪」のスケジュールは
たびたび延期され、出演者も何度も変更になった。
先日、製作会社はついに確かな情報を伝えてきた。
「太平輪」は7月6日、北京で正式にクランクインした。
チャン・ツーイー、ソン・ヘギョ、長澤まさみ、金城武、
トン・ダーウェイ、ホアン・シャオミンの6大中日韓のスターが参加する。

出資会社の説明によると、「太平輪」は史詩大作と位置づけられ、
従って予算も3億元前後となる。
ある事情通が明かしたところによれば、製作費が大きすぎるので、
ジョン・ウーの前作「赤壁」にならい、2部作として上映されるという。

この映画にはたくさんのCGが使われる。
今回全てのCG処理を大監督ジェームズ・キャメロンが創設した会社――
デジタル・ドメインが手がける。
この会社はかつて「トランスフォーマー」シリーズや
「ハリー・ポッター」のシリーズなどの制作に参加をしている。

出資者、作品名、出演者は何度も変更

「太平輪」はジョン・ウーが初めてメガホンを執る戦争パニック物の映画である。
2008年の発表から2013年の正式撮影開始までに、出資会社が変わり、
作品タイトルと出演者も何度か替わった。
それにジョン・ウーの病気で、この「太平輪」は�猊埀紳海��瓩箸いΔ海箸�できる。

2008年、ジョン・ウーはカンヌ映画祭で、ある特殊な時代の複数の恋人たちの
生死離別を描く「1949」を撮影すると発表した。
(タイトルは後に「太平輪」「生死恋」と改められる)
このとき発表された主演男優は台湾のチャン・チェン、主演女優はソン・ヘギョ、
アンディ・ラウも出演可能というものだった。
「赤壁下」のポストプロダクションに忙殺され、この映画の撮影開始は延期となる。
2009年3月上旬、ジョン・ウーは映画のタイトルを「太平輪」と変更。
この月の下旬に、長く準備されて来た「太平輪」が頓挫したと伝えられた。
この映画の脚本の版権を所有していた亜士影業が突然、
プロデューサー張家振(テレンス・チャン)グループとの交渉が成立せず、
これからふさわしい監督を別に捜すと声明を発表した。

転機は2011年に訪れた。
ジョン・ウーとテレンス・チャンの会社獅子山(ライオン・ロック)の
スタッフが明らかにしたところでは、
淅江のある会社がこの映画の版権を買い取り、
「太平輪」はその年の秋にクランクインが決まったというのだ。
以前のストーリーと比べて、映画の構想は大きく変わらず、
ただ、細部のみ調整されたとのことだった。

その年の夏、張涵予もまた、自分が「太平輪」でソン・ヘギョと共演、
夫婦役を演じると語った。
この映画について、彼は非常に気に入っていることを隠さず、
これまで見た中で最良の脚本だと述べ、
「期待できる」「歴史詩編のような」など美辞麗句で表現している。
この年既に、ジョン・ウーは舟山に撮影基地を建設する計画でいた。
「太平輪」というタイトルは版権に触れるので使用できず、
「生死恋」とまたしても変更された。
また、チャン・ツーイー、ソン・ヘギョと契約を済ませ、
年末にはクランクインと予想した者もいた。

ところが�犒弉茲�変化についていけない�瓩箸いΔ海箸砲覆蹐Δ箸蓮�
テレンス・チャンが明らかにしたところによると、
クランクインは「2012年2月」とはっきり決まっていたのだが、
最終的に、ジョン・ウーが病気になったことで、またもや中止となったのである。
2012年5月、ジョン・ウーの病気は喉頭がんで、既に4か月入院中であるとすっぱ抜かれ、
「生死恋」は無期限延期となった。
そして、スケジュールの空いてしまったチャン・ツーイー、ソン・ヘギョ、チャン・チェンらは、
他の映画に出演していった。
その後、ジョン・ウー自身によって、ただの扁桃腺の腫瘍であると明らかにされた。
このように、「生死恋」という矢は弓につがえられながら、放たれないでいた。
チャン・チェン、張涵予、ルイス・クー、アンディ・ラウらは、
みなスケジュールが合わなくなり、降りて行った。

今年1月から、「生死恋」の撮影開始の情報が絶えず聞こえてくるようになった。
チャン・ズーイーは、ジョン・ウーの健康が完全に回復したと明かす。
そして、初期に伝えられていたトニー・レオン、ダニエル・ウー
(この2人の名前は出ていましたっけ?)、
ルイス・クー、チャン・チェンらのスターは、
おそらくはスケジュールの問題でこの映画を逃すことになるのである。

4月23日、病で1年間休んでいたジョン・ウーが姿を現し、
自ら「生死恋」は今年6月撮影に入ると宣言。
5月、カンヌ映画祭に、「生死恋」の最初のイメージポスターと
英語タイトル「The Crossing」がお目見えする。
7月3日、制作会社はジョン・ウーのこの新作の中国語名を
また「太平輪」に変更したことを正式に認めた。

「太平輪」の早世を再現

「太平輪」のストーリーは実際の歴史上の事件に基づいている。
「太平輪」とは、中聯輪船公司の豪華貨物船であった。

第二次世界大戦の後、1946年から49年までの間に、
大勢の移民が台湾の土を踏み、台湾の新住民の列に加わった。
もともと毎週定期的に上海−基隆間を往復していた「太平輪」は、
そこで人々が上海から台湾へと逃れるための船になったのである。
彼らは台湾は一年中春のようで、甘いバナナとパイナップルが生るとのみ聞いて、
多くの人が家産を売却し、親類家族を抱えて何とかこの南方へ向かう船に乗り込み、
平和な生活を得ようと手立ての限りをつくした。

1949年1月27日、大晦日の前日、上海から基隆へ向かう途中、
荷の積み過ぎと明かりをつけずに夜間航行していたことから、
一艘の台湾からやってきた石炭船と衝突、
1000人近い、有力者や著名人、難民が上海の沖40里あまりの舟山群島で遭難した……
この事件は�狠羚颪離織ぅ織縫奪��瓩噺討个譴討い襦�
それゆえ、「パニック」は「太平輪」の大きなセールスポイントの1つと言っていい。(後略)
(東南快報 2013.7.14)



ここで大晦日と言っているのは、旧暦ですね。

最後に「短評」というのが付いていて、太平輪と1949年という時期、
台湾に移った人々のその後に関し、短く書かれていますが、
これが、書いた人の個人的な思いか、映画と関係があるのかが判然としないので、これも省略。

それにしても、上記文中の太平輪で台湾へ渡ろうとした人の動機が
あまりに単純化されている気がします。

白水社から去年出された『台湾海峡1949』のことは、
まず原題『大江大海一九四九』の名をピーターさんが版権を取ったというので知って、
だから、翻訳が出された時からこれがあの本だとわかりました。
何度も店頭で手にとっては置いてくるということを繰り返しておりました。
やっぱ、年とったせいか、辛そうなものはだめなんです、避けちゃうんです。
でも、いずれ読まなくてはならないとは思っていたものですから、
今回「太平輪」がまさにこの時代のど真ん中に起きたことで、
しかも本にも書かれているというので、ついに購入、400ページを3日で読了しました。

これを読むのと読まないのとでは、「太平輪」「1949年」に対する理解というか、
姿勢というかがもう全然違ってきますね。
先程触れた文章みたいな記述は、なんかごまかしているんじゃないかと思いたくなるくらい。

それと、「投名状(ウォーロード)」が、いかに今に生きる反戦映画か
ということもよくわかりました。

張涵予が激賞したこの映画の脚本は「グリーン・デスティニー」
「ラスト、コーション」の王恵玲(ワン・ホイリン)の作ですが、
この人はまた、ピーター・チャンが金城武の次回作のために
考えているという映画の脚本の人でもありますよね。
ピーターも、映画開始前のものとしては過去最良の脚本と言っていました。



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