武ニュースDiary


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目次前の記事新しい日記


2010年11月12日(金) ジミー・ウォングへの独占インタビュー

英語サイトに正式に出た新しいスチールは、Dolphinさんや赤壁戦記さんのところから、
ご覧になってくださいね。
大物登場! ということで現れたジミー・ウォングについては、私も名前を知るだけでしたが、
ネットに紹介はいくつもあるので、検索していただくとして、
どうして、この映画に出ることになったか、インタビューを、
もっと長い記事から抜き出してご紹介します。
映画が楽しみになりました。


――の役を受けることになったときのことを教えて下さい。


王羽(ジミー・ウォング) 1か月半くらい前、下の娘が電話をしてきて、
ジャッキー・チェンの前のマネジャー、陳自強が私と話したがっていると言ってきたんですよ。
それを聞いてすぐ陳自強に電話したら、すぐつかまって、彼はこう尋ねてきた。
「ジミー、山を降りないか?」
私はいいよ、でも先に脚本を見せてくれと言いました。
実は、あまり乗り気ではなかったんです。
私達の年ごろの俳優は、祖父でなければ父親役で、
全然腕の振るいどころがないからです。

ところが後になって陳自強が渡してくれたあらすじと脚本の一部を読み終えて、
びっくりしましたね
その映画の役というのはすごく重要な役だったんですよ。
だって、私はもう15年もアクション映画を撮っていないんですよ。
だからそのとき、逆に監督のことが心配になりました。
私はすぐに陳自強に電話をして言いました。

「監督に聞いてくれ、私が演じられると本当に思っているのかと。
彼に確かめてから、もう一度電話をくれないか」

すると、陳自強は、監督はただ私がそこにいるだけでいいのだと言うんです。
そこで監督は誰だと聞きました。
陳自強はそこでピーター・チャンだと初めて伝えたのです。
私は言いました、なら、やるよ、と。

――ということは、ピーター・チャンだから受けたのですか?

王羽 ピーター・チャンがドラマに優れた監督だということは知っていました。
彼が監督した映画の90%は見ていますよ。
デビュー作の「双城故事」から「風塵三侠」まで、「金枝玉葉」から「ラヴソング」、
プロデュースした「金鶏」までみんな見ました。
すぐれた監督だということはもちろん知っています。
彼の映画はどれもとてもロマンティックですよ。
だから、彼を信じます。
でも、そのときは、他に誰が出るのかは全然知りませんでした。

――しかし、ピーター・チャンは武侠映画を撮ったことがありません。
ずっとアクション俳優だったあなたが、
どうして彼が武侠映画をうまくコントロールできると信じられたのですか?


王羽 実は、ピーター・チャンの映画で一番好きなのは「投名状」なのです。
俳優の演技は言うまでもありません。
ジェット・リーは以前からアクション映画に出演し続けてきましたが、
この映画で、私は初めてこんなに違う彼を見ましたね。
あの映画には本当に大勢の軍隊や馬が登場しますが、
私自身監督をしたことがあるので、
大がかりなシーンの撮影がどんなに大変か知っています。
あんな大シーンを上手にコントロールできたのだから、何も心配ないでしょう?
とにかくその上、武術指導のドニー・イェンがいるのです。

――この映画の最後のシーンでドニー・イェンと命をかけた対決をするそうですね

王羽 そうです、私たちは心ゆくまでアクションをしました。
ドニーはこうなんです。
彼は現場で俳優がどこまでできるのか見て、俳優が理解したら、
その身体的能力のぎりぎりまで挑戦させる。
アクション監督として、どうやったらアクション俳優の潜在能力を最大限引き出せるか、
彼は熟知しているのです。

彼のことはずいぶん前から知っていますよ。
実は3年前には、私は彼が主演した「画皮」の製作者だったんですよ。
それでクランクイン前に、2人とも北京のパーティーに行きました。
その前から互いに知っていましたが。
パーティーの席で、嬉しいことに彼が私のところに話をしにやってきてくれました。
そのとき、こう聞かれたのをよく覚えています。

「もし、私がいつか新しく『独臂刀』をやることがあったら、あなたはいやですか?」

私はすぐ答えましたよ、「もちろん、Noだ!」
こういうことですよ、私は「独臂刀」で世に出たが、「独臂刀」は私のものではない。

――ドニー・イェンがあなたの身体的極限まで挑戦してくるとき、
あなたはそれに耐えられますか?


王羽 初日、私のスタンドインを見かけたので、
すぐピーター・チャンのところに行って言いました。

「吹き替えは要らないよ、アクションだって、ワイヤーだって問題ない」

私のことを68歳だと考えないでほしい。
毎朝40分走っり、バーベルを挙げ、午前午後それぞれ50回、腕立て伏せをしています。
これはいつも決まってやる運動で、ときどき水泳もします。
体の状態は大変いい。
高地でのアクションなので、アクション俳優によっては息切れする者もいるでしょうが、
私は大丈夫、問題なしです。

――では、この映画撮影中に、ドニー・イェンに何か教えることがありましたか?

王羽 私が彼に教える? ありえません。
私の方が年長ですが、ここ数年は、彼の方が私より経験豊かだと思っています。
それに、彼は本当に素晴らしいし、もし普通の人相手なら、
昔とって杵柄でちょっと教えてあげたりもするでしょうがね!

ドニー・イェンは武術の家の出身で、基本がしっかりしています。
どたばたした動きのアクション俳優と違って、ドニーの動きは速いし、非常に優れていて、
形だけの実践向きでない立ち回りではないのです。
ですから彼のクンフーは実践でも役に立つ。
形から言うと、実はブルース・リーにとても近いですね。
ドニーはデビューしてもう20年あまりですよ。
人気が出てきたのは、やっとここ数年だなんて、これまで実に不運だったと思います。

――あなたは今でも中国語アクション映画に関心がありますか?

王羽 少し前、「剣雨江湖」と「狄仁傑」を見ましたよ。どちらもなかなか良かった。

――今のアクション映画は以前のアクション映画に比べ、新しいものがありますか?

王羽 技術ですね。今の技術はすごくいい。
初期のワイヤーにしろ、後の特撮にしろ、そのおかげで、
俳優は以前はできなかったことができるようになりました。
私たちの頃は、もし映画の中で「飛ぶ」なら、ジャンプ台を使わねばなりませんでした。
しかし、その空中を進む軌跡は本当に嘘っぽく、観客も見たがりませんでした。
後にワイヤーが登場しましたが、ワイヤーは後で画面から消せないので、
非常に細くしなければならず、危険でもあり、制限も多かったのです。

話を元に戻すと、この15年間変わっていないことが1つあります。
つまり、アクション指導の中心的な人たちは、私が映画を去ったときも、
チン・シウトンであり、サモハン・キンポーであり、ジャッキー・チェンであり、
ユエン・フーピンであり、ドニー・イェン、これら数人でした。
ところが、今日、大作は依然としてこの数人です。
アクション映画は作り続けられているけれど、
新しいアクションの人間が出てきていません。
けれど、彼らがいつまで映画をやれるのか? 私はわからない。
新浪娯楽より 2010.11.8


   BBS   ネタバレDiary  19:30



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