武ニュースDiary


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2008年02月09日(土) ゲーム「Perhaps Love」●「看電影」の記事��(更新)

あちらでは(って、こちらの事情は知らないが)、
ヒット映画がどんどんゲーム化されているようです。
武関係では、「LOVERS」も「投名状」も、
それに「赤壁」もゲーム化が進んでいるんですよね。

あの「如果・愛(ウィンター・ソング)」は、携帯用ゲームになったそうです。
絵が可愛いので思わず持ってきました。
それぞれ、映画の主人公達にどことなく似ていますよね。

  
   

ストーリーには5つの結末があって、一番いいのにたどりつくのは、結構むずかしいとか。
人物の才能、性格、感受性などの数値により決まっていくそうです。

記事はこちら。



●「看電影」の記事��  22:00

コーヒーの愛

ウォン・カーウァイと「不夜城」から
「君のいた永遠」「ラベンダー」への変化は非常に大きいが、
金城武は恋愛映画をこそやるべき人のように見える。
彼には完璧な愛を語りうる魅力がある。
少なくとも虚構の世界で、この「お隣の男の子」と「ブラック」の混合体は、
苦く、かつ純粋な愛を調合することができる。

幸い金城武の恋愛映画は、テレビドラマのような紋切り型に堕することなく、
酸味の強いコーヒーのように、ちょっぴり刺激的だ。
彼は、1人静かに鳩に向かってバイオリンを弾き、エサをやり、
まじめな口調で鳩に言うことができるのだ。
聞きながら食べろ、聞かずに食うだけじゃだめだぞ――。

「ターンレフト、ターンライト」のこのようなシークエンスを
金城武に演じさせると、歯の浮くような感じが全くない。
彼には厳かさと、人を笑わせる部分が両方備わっていて
(もしかすると観客は、彼は地球人じゃない、
だからどんな地球人っぽくないことをしても、
誰よりも自然なんだと思っているのかもしれない)、
感動を、倦むことのない心地よさへと、
自由自在に変えることが出来るのである。

また、金城武の役は愛に純だ。
それは、女性に迫られてあわてふためいて逃げ出すからというだけでなく、
監督と脚本家が彼のために用意したのは、
失われた大切なものを追い続ける役だからである。
彼はいつも自分と人々の夢を背負って、堅く守り続ける。

映画の中の金城武は、役を通して、都会で病む我々を癒す。
冷え冷えとした街を背景にしながら、物語は彼の努力とともに、
壁をなくし、コミュニケーションが生まれる方へと動き、
最後には、結果がどうであれ、必ず美しい思い出を残す。

「ウィンター・ソング」の撮影中、彼が、恋愛映画はとても疲れるから、
少なくとも当面はやりたくないと言ったことがあるが、
その後、本当にそういう映画には出ていない。
彼の「最後の」恋愛ものとしての、このミュージカルは、
最も様式的な方法で、最もリアルな物語をパッケージしたものだが、
やはり、金城武のシンプルな気質と執着する性格に多くを負っている。
だが、それは癒すものとしてではない。
都市で生きる人間のやるせない生活を浮き彫りにするものとしてである。
この映画において、愛は、1杯のネスカフェから、
ついに苦味ある純正なマンデリンへと変化したのだ。

花火の世界

人の推測を許さない金城武は、又もや変化した。
まだ都会には留まっているものの。
恋愛映画作品があるかどうかは、彼のような俳優の場合、
やはり非常に重要である。
デビュー以来ずっと、大衆の恋人のイメージをぬぐえなかった彼が
愛を演じない、別の言い方をすれば、恋愛が中心ではなくなったら、
いったいどういう演技をしたらいいのだろう?

昔の作品に、トニー・レオンとすれ違いで出演していた彼は、
この演技派の男優と、ついに真正面から組むことになった。
彼らの見せた、互いに長所を引き立てあう共演は、
金城武の演技の成熟を示すものだ。
少なくとも、この映画で、彼の演技は、今までにない安定感を見せている。
細部の表現、特に表情のデリケートな変化は、
彼が20歳でウォン・カーウァイの映画に出ていたとき、
身につけたいと願った成熟であり、今、それが真に訪れたのである。

2つの映画には似た要素がいくつもあるせいで、
それが彼の演技の変化をくっきりと見せている。
あたかも古巣に戻ったかのような、似た街、似た人物、異なる地位
――十数年前の懸命の演技は、時間の推移の中で
ついに順調な成長をとげたのだった。

キャリアに野心を持つ俳優なら、誰でも出演作品の中で成長したいと願う。
金城武の成長は、「ウィンター・ソング」に始まり、「傷城」で完成した。
2004年に「LOVERS」で再び人々の視線を集めるようになった彼としては、
いささか遅くはあるが、しかし遅すぎはしない。

「投名状」はこの変身を推し進めたものだ。
実際、�爛ぅ吋瓮鵝Ε�ラブ�瓩硫餔�が日に日に数を増している今日、
外形上のイメージチェンジは1度は必要になる。
「傷城」での変化は内面的過ぎ、観客に深い印象を与えるほど
目にはつくものではなかった。

性格俳優のジョニー・デップでさえ、最も人の注目を引いた演技は、
汚れメイクをして後可能になったのである。
デップのどの映画も、大幅に外形を変えることで助けられているのは
改めて言うまでもないだろう。

早くから�狹賤里離献腑法次Ε妊奪廰瓩噺世錣譴振眈詆陲�
ついにこの挑戦を受けて立った。
「投名状」のすぐ後の「赤壁」はまだクランクアップ前だが、批評の続出で、
出演スターも誰1人その洗礼を免れることはできない。
ただ、役柄そのものだけを見れば、諸葛亮は悪い選択ではない。
金城武はその得意とする感情演技とアクション演技を、徹底的に捨てる必要がある。
彼が演じるのは若くはつらつとした諸葛亮であるとはいえ、
今回の純粋に演技を見せる芝居には、円熟が必要なのだ。

金城武本人がどう考えようと、
彼はすでに国際化された映画界に押し出されている。
国際的活躍こそ彼の仕事であり、それはまさにブランド効果を必要とする。
例えばジャッキー・チェンの�爛�ンフー・コメディ�瓩�
渡辺謙が備える東洋男性の円熟した気迫は、
これぞ、と定義しうる特質だ。

金城武の特徴がないという特徴は、彼の国際性を比較的少数派好みなものにしており、
ハリウッドが全面的に受け入れるタイプとは違っている。
が、彼はCNNのインタビューに応えて、かつてこう言った。
ハリウッドの出演者であるより、観客でいたいのだと。

「傷城」「投名状」「赤壁」を経て、
彼の考え方が変わったかどうかはわからないが、
とにかく、これらの映画は彼の特色を少しずつ形作りつつある。
もし、自分がなにがしかの形容詞、あるいは名詞のシンボル的存在
(もちろん、「かっこいい」という言葉は含まれない)になりうると、
彼が気づいたとき、より国際的な活動へと開いていくことを
彼は検討し始めるだろうか、
それとも、これまでの自分のすべて――永遠に推測を拒む少年あるいは男、
永遠に変わり者ではあるがアウトサイダーではない1つのトレンド、
華やかだが移ろう花火のような世界で、
ひとすくいの温かい光を持ち続けるその本質――を
完全にひっくり返してみようと思うだろうか?
(Shane文)

前半はこれで終わり。後はインタビューです。



 BBS  ネタバレDiary 13:00


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