武ニュースDiary

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| 2006年01月31日(火) |
シンガポール「icon」誌の記事・下●追記 |
きのうの続きです。
若芽から枝を伸ばし葉が生い茂るまで
金城武は日本市場に進出したことがある。 西暦2000年には、「二千年の恋」に出演した。 最近3年間は、ほとんど毎年(あるいはもっと長い)1作しか、映画に出ない。 2003年「ターンレフト、ターンライト」、2004年「LOVERS」、2005年「如果・愛」。 出演作が少ない主な理由は、自分がピンと来るものにだけ出るからで、 最近、国際的な大作が多いのは、映画界全体の環境がそうなっているからだと、 彼は言った。
「1997年の香港返還の前後、香港映画の数はぐっと減りました。 返還後、中国大陸への進出が始まったんです。 映画だけでなく、テレビも同じです。 一時期は混乱して、みんな、どこへ行って何を目標にすればいいのか わからないでいると感じたときがありました。
実は、ぼくたちはみんな周りの環境に影響されて、 中国内地をめざす人がどんどん多くなっています。 今、世界中が中国で発展したいと考えている。 もうハリウッドに行く必要はないし、彼らがこっちに来ようとしている。 ですから、将来は国境を越えた映画製作はますます増えるでしょう。 ぼく1人がそうだというわけではないんです」
10年は、短い時間ではない。 金城武は1996年にアルバム「多苦都願意」を出して後、 ずっとCDは出さず、映画が仕事の中心となっている。 今回、ミュージカル映画「如果・愛」に出演して歌を歌うことがなかったら、 若いファンは、彼がかつて90年代初め、音楽界の新人アイドルスターであったことを ひょっとしたら知らないままだったかもしれない。
過ぎ去った10年の間における変化についてたずねられると、 武は内向的な性格は10年経っても変わらない、 いつも、大人しく物静かだと思われているが、 本当は何を言ったらいいのからないだけなのだと答えた。
また、この映画での役も10年間の成長の過程を表現するものだが、 �牴甬遶瓩了�代を演じるときは、 自分の20歳を少し出た頃の生活と考え方を思い浮かべた。 しかし同時に、役の�猝ね茘瓩僕擦韻海爐燭瓩法� 自分自身の10年後も想像しなければならなかった。 芝居の内でも外でも、いつも時間とのかくれんぼうをしていたのだ。
不意に、かつて彼を発掘した陳昇(ボビー・チェン)のことが頭に浮かんだ。 およそ9年前、金城武はすでに陳昇のもとを離れ、 より広大な国際映画市場に飛び込んでいた。 あるとき、陳昇がテレビで歌を歌ったとき、司会者が彼に、 弟子が別の世界へ飛び立つのを手放す気持ちはどうかとたずねた。 この恩師はたいそう含蓄のある話をした。
彼はこう言った。 人は樹木と同じようであるべきだ。 それぞれが自分の土によって、独立して成長していく。 高くなろうと努力し、ある日、枝が伸び葉が茂って相手まで届くようになったときに、 空中で互いに手を振って挨拶できるというのも全然悪くない。 必ずしも相手を縛り付けておかなくちゃならないわけではない――
ここ数年、この小さな木は既にたくましく成長をとげた。 彼は自分の成功をどう見ているのだろう?
「人はいつも環境によって変化するし、上下するもので、 いいか悪いかはそのときの境遇に過ぎません。 状況がいいときは、それを大事にすることを知って、全力を尽くさなくてはならない。 もし状況が良くないなら、勉強して、次はもっといいチャンスが訪れるよう、 いっそう努力をする。 よい境遇、悪い境遇とも1つの過程ですよね。
自分が最後にどうなるのかはわからない。 50歳のぼくはもっと良くなっているのか、それともだめになっているのか、 それを言うのはとても難しいよ。 だから、今のチャンスをつかまえて、 やりたいことをやり、撮りたい映画を撮ることに専念する。 それがぼくにはとてもいいんです」
協力とは言われるままに何でもすることではない
金城武の今回のシンガポール来訪には、いくつもの�狎�限�畛�項があった。 記者会見とインタビューの間は、撮影禁止、 私的な問題についての質問禁止、サイン禁止にツーショット撮影禁止である。 小さい部屋に入って取材をする前、随行のスタッフが、 もしプライベートなことを質問したら、すぐ出ていただくと注意した。 おい、もっと言い方を礼儀正しくできないものかね?
「如果・愛」には記者会見のシーンがあり、 金城武演じる大スターが記者に向かってこう言うのだ。 「もし、不適切な質問をなさったら、記者会見は中止です」 映画の外の現実と驚くほど重なっている。 武は笑いながら説明した。
「これをやる前に、監督に、本当の記者会見を撮って このシーンにする方がいいですよ、って言ったんです。 いや、本当をいうと、映画の宣伝は、観客に映画そのものを、 よりよく伝えるものでなくてはいけない。 それは映画会社への敬意でもあるんです。 ぼくの私生活については、ぼく個人は そういうことを話したいとは全然思っていません」
撮影の禁止については、気が散って、何を話しているか 忘れてしまうからだとのことだった。 おまけに、普段はあまりしないサインさえも、きれいさっぱり禁止なのだ。
「どうして、あれもこれもしないと協力してないことになるんですか? どうして必ず言われる通りにしなくちゃいけないんですか? インタビューのときはインタビューを、撮影のときは撮影を、ぼくはそう考えます。 ぼくたちの概念が違うんでしょう」
食事のときは食事を、眠るときは眠ることを――いい男はなんと禅を語り出した。 なかなか見られぬ笑顔、インタビューの間一生懸命答えてくれたことで よしとしようではないか。 ほら、これこそが美貌であることの利点なのだ。 (胡錦偉・文/icon 2006年2月号)
私にはこの記者のスタンスがちょっとわからないんです。 基本は書くべきことを書いていると思う。 でも文章の初めと終わりの皮肉は、武へのものか、同業者へのものなのか。 本文はまっとうなことでも、前後にそういう振りと落ちをつけねばならない シンガポールの彼をめぐる状況なのか。 (もっとも、私の読解力では文章のニュアンスまでつかむのは難しいですから)
前に楊麗玲さんも書いていたように、初対面の人物に、深い話や個人の考え、 感情、ましてプライベートなことなど、気前よくどんどん話してくれなどんて、 普通は言えないことです。 でも、記者は、マスコミだからと、それが当然のように勘違いする傾向が、多分ある。 シンガポールはどうか知りませんが、 香港では、マスコミは宣伝してやるのだからという態度だと武も言っていたし、 それに合わせる芸能人も大勢いるのではないでしょうか。
そんな中で、自分が当たり前と思うことを貫くのは、すごく抵抗を受けるでしょう。 自分の仕事のことを考えたって、あるいは人との付き合いでもいいけど、 なかなか難しいことは想像つきます。 まして、同じ仕事であっても、芸能人はめちゃくちゃに悪口言われやすいですから。
何を言われても、普通の人間としてまっとうだと思うことを守りたいとする彼は、 スペトラ香港プレミアのとき、同行した本広監督が言っていたように、 戦っているんだと思う。 その言葉が今、よくわかった気がしました。 笑顔をくずさず、しかし、戦っているんだと思います。 私はそんな彼を尊敬するし、応援しているよと伝えたい(間接的にね)。
そんなことを感じさせられた記事でした。
●追記 8:30 今、気がついたのですが、 本広監督の言葉って、どなたも御存知なわけじゃないですよね? 当時、本広監督のサイトにあった日記なのですが、今行ってみたら、 04年からのしかないようです。 該当箇所のみ、期間限定で、「こちら」に引かせていただきます。 パスワードsupetoraでご入室ください。 →wintersongでどうぞ。(2010.5.9)
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