| 2011年04月19日(火) |
極端な話、消費行動=世論形成=政治活動 |
先日紹介した「命の三角地帯」の記事について、 私のマイミクさんから、アメリカのツイッターでは疑問視されているよと教えてもらった。
そうかもしれない。全てが正解ではないかもしれない。 その土地その土地の建築基準や災害の形にも依るんじゃないかと思う。ケースバイケースなのかもしれない。 が、 全てが不正解でもないだろう、と思っている。
そのほかにも今までここの日記で紹介したサイトの、 全てが正解ってことも不正解ってこともないだろうと思うけど これから書くことも、取捨選択して受け止めてもらうことを期待しつつ ある意味、偏見も入ったひとつの感想を書こうと思う。 何でも、「全か無か」では捉えられない。
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放射性物質に関して、国が定めている、第一次産業の商品の安全基準や 年間の被ばく量の限度や、既存の原発の安全性について。 それらが国民に知らされている・知らされようとしている情報について。 本当に信用していいのか?ってことが いま問題だと感じているけども。 私個人としては、現時点では、「ほぼ信用できない」と思う。
政財学界全てによって「大丈夫だよ」宣伝してくることが、今はグレーだと感じる。なんか企んでんじゃないのかと疑わせる。 バックに何があるんだろうと思わせる。 それは今までの経緯をなんとなく眺めているだけで、多分疑ったほうがいいだろうと、推測させられる。 (それをもっと早く気付きたかった。騙されたとしたら、騙された私も悪いよね)
※年間の被曝限度量、引き上げを検討 原子力安全委 2011年4月5日22時21分 (朝日新聞社) http://www.asahi.com/national/update/0405/TKY201104050616.html?ref=rss
なんで今さら被爆限度量を引き上げるんだろう? だったら最初っから引き揚げた数値を設定しておけばいい。 「日本の原発は本来安全なんだ」 「原子力エネルギーから自然エネルギーに変えるなんて非現実的だ」というような定説が 覆ると誰が困るか損するか、きっとそこに何かがある。
ただ単純に放射性物質が絶対怖いか安全かっていう話でもなくてね、 (少量の放射性物質ならむしろ体にいいって言う人々もいるし。でも私はそれもそれで過信しちゃいけないと思う) その限度とか安全基準が、 安全を願う人の志によってじゃなく、政財学界の利権的な都合で、操作されちゃってるかもしれないのが、 いやなの。 結果的に適量の?放射性物質が、仮に健康を害さなかったとしても(むしろ健康を増進したとしても) 基準設定の主な動機が、人類の未来を慮ってやったことじゃなかったとしたら、それが(損得がらみや責任逃れだったことが) いやなの。
「店頭に並んでる農畜海産物は、基準をクリアしているんだから大丈夫」 「むしろ基準をクリアしてる被災地産のものを積極的に買うことこそが、支援になる」 っていう声が主流になるのなら 私はホント将来的にすごく心配だ。
つめたい考えかもしれないけども、あえて思う、私は「買うことで支援するよりも買わない代わりに義援金で支援」で行こうと。
売れ行きも、人々の関心や不安を表す世論のうち。
(ただし根拠のない風評被害はただ邪魔なだけだから自戒しなきゃいけない。人から人へ放射性物質がうつるわけないのに避難者をいじめ差別するなんてバカそのもの)
哀しいことだけれど、こういう形で原発の「想定外な」危険性が露呈したいま、 その周辺でとれた食べ物は、以前と同じように売れはしないという現実を認めなければならない、 いや以前と同じ程度に売れては、いけないのだと思う。(それは未来の地球のためと未来の子どもらのためには。)
その第一次産業従事者に対して、東電だけが賠償すればいいのではなく 国が(=信じ支えた国民全体が)償わなければならない。 今回の事態を招いた原因を全て東電だけに押しつけようとしてるならそれはおかしい。 政財学界と、それを受け入れた国民が、ともに醸した安全神話じゃないのかな。
そのうえで、人々が何を意識的に選んで買って食べるかは、何の仕組みに対してYESと言いNOと言うのか に繋がると思う。
私が野菜を買うときに優先したいのは つまり買い支えたいのは、
被爆が心配いらない土地の有機国産農産物>被爆が心配いらない土地の普通の国産農産物>被爆が心配な土地の有機国産農産物>被爆が心配な土地の普通の国産農産物>>>>何の農薬がどれほど使われたかわかんない輸入農産物
その商品を手に取った時に考えてあげく買わないのは意志表示、 福島の農家への抗議じゃなくて、国のエネルギー政策や安全基準への不信感の表現だったり 某国の農家への抗議じゃなくて、某国の政治体制や安全基準への不信感の表現だったりするから。
農作物だけじゃなくて 添加物いっぱいの化粧品とオーガニックの商品を天秤にかけたとき 後者を選んでレジに持っていくことが、その時点では 国が定めて企業が踏襲する安全性への考え方に疑問を投げかける一種の世論形成というか、政治活動に、 なりうると思う。 でも、オーガニックってだけで信用しちゃいけない。かえって肌に悪いものがもし含まれていたことが分かったら その商品は買わないであげるのが、そのメーカーのためになる。
こないだの都議選で 私は迷って迷ってた。 日本の領土問題や某ギャンブル業界にピシッと言えそうな現職の知事に、一票投じようかと思ったり でも、その人じゃ原発にNOと言える気がしないから止めようと思ったり かといって某実業家の人の、表の顔と裏の顔は本当に一致するのか書物とネットでわけわかんなくなったり でも、その人が裁判で係争した事案などから考えると、意外とその人は信用できるのかもしれないという勘に頼ったり 投票所に行ってまで迷っていた。
と、そんな迷いにも似て、そんな風に、(時間のないとき以外は) スーパーの店先でいちいち比べて迷って一品一品買っている主婦がいるんだよと 関係省庁の人々にはこの消費行動をもって訴えたい気分に今は、なっている。
もし私がお金持ちだったら、自然エネルギーに積極参入してる企業の株をいまなら買うんだけどなー。
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