| 2011年01月11日(火) |
息子のセンター試験まで4日、あーそういえば昨日は成人の日だったんだ(あれこれ思いあぐねる) |
(久しぶりに子どもたちが学校等で留守になったので、数十分前に下記の日記を書いてから過去の文を読み返してみたら まあ見事に私はおんなじことばっかり繰り返していること。 この頭の中は一日千秋、だがいま千年が一日にも一日が千年にも感じられる。 カウントダウンの日めくりはくるくると千切られても 考えてることが昨年末とほとんど変動なし。 でもちょっとだけ変わったことと言えば、 娘からまた新しい漫画を紹介されて気に入ったのが 「荒川アンダーザブリッジ」中村光。聖☆おにいさんを描いてる人。 主人公の市ノ宮は家訓「他人に借りをつくるべからず」のもとに育ち 人に恩を受けてそれを返せないとストレスで喘息の発作が出てしまう。 そんなエリート青年に、 自称金星人という素潜り手掴み漁が特技の美しいホームレス少女がカルチャーショックを与え 若い二人の微笑ましい恋は始まったばかり。)
鏡開きの日だとすっかり忘れていた11日の日記はこれ ↓
実家の母が、温かいメッセージとともに贈っててくれた ネスレの赤い五角必勝カップには 息子のリクエストに応じてカフェオレが入ったりチャイティーが入ったりして出番多いことこのうえなし。
三連休は。 息子は夫という数学講師にびっちり指導を乞い、 私はそこへ頃合いを見て紅茶やら間食やらを出し続け、 その間に娘を三軒茶屋へ一人買い物デビューさせて(それまで一人で行ったことがなかったので) お年玉で少々パワーストーンとか本とかの買い物をさせてきて、 というように、皆、これといったお洒落な過ごし方はしていない。
私としたことが、ユースケ氏の出てる連続ドラマの存在を、実家に言われるまで気づかないほど(録画はしてもらってるけど) いま、顔には極力出さないが、頭の中は祈りで一杯さ。
SASUKEの第一ステージに初出場する人を見守る家族の心境っていうか。 それも限りなくリスキーなチャレンジャーの姿を。 傍から見るのってこんなにスリリングだったんだな。
私は若い時分、ちょっとだけど、ホームレス男になりたかったことがある。 それは大人に構われなくて済む身分に憧れてたから。
いま思えば、なんと罰当たりなことか。
子ども当人が知らないだけだった、親族が見守ってる気持ちは想像以上の次元のものだった。 単なるアレじゃなくてもっとこう・・・、
まあ、けど、でも、 贅沢な話だと思う。
結局この長男のお腹にいるときから高校卒業までをも 専業主婦として過ごし、見たいだけ見て、いつでも感動ライブを味わって過ごせてしまった、そのことは 申し訳ない気持ちになるほど贅沢な話だと思う。 現代このご時世においては尚のこと。
稀有な存在になりつつある専業主婦を死守してやるという強い決意はないけれども、ただ倹しく且つラクに流れてたらこうなったってだけなんだけれども、
世の中で既に主流になっている生活様式――― 核家族がだんだん時代遅れになってってる。 若い夫婦は共働きして子どものことは祖父母が主に見る・その子どもが大きくなったら親夫婦は今度は孫を見る・という ループ。 それはそれで、良いとは思うんだけれども、
子育ては老後の楽しみにとっておくのが一般的な常識にまでなってしまったらと思うと、なんかー。
それも案外悪くないかな?子どもな親に育てられるよりも、老成した祖父母に育てられるほうが教育上の効果があるかな?
けどやっぱり、体力が要るからね、
そうかといって、子育てを若いうちに満喫しておいてから老後の楽しみを「お仕事」にしよう、というのも、無理があるし。 現状の求人状況を考えると35歳を過ぎたらパッタリと仕事が選びにくくなるっていうのはやっぱり少なからず続くだろうし。
だからいつも言ってるように、どっちでも好きなように選べる状態があればいいなと。 若いうちから歳をとってまでも、ずっと細く長く、子育ても仕事も程良いバランスで関われる世界ならば。
子どもにとっても。親から祖父母から社会からあらゆる大人から見てて守っててもらえる状態が、望めばそこにある、なら。
が、 しかし、ここですごく矛盾を感じつつも思い知っているのは そんな程良いスタンスをヨリドリミドリで自由に選べる境遇になるためには 教育や住む場所も含め、ある程度は履歴書を飾っておかなければならないという現実。
だからそれを我が子が無事に手に入れられる範囲から逸脱しないで生きてってるかどうかが 親としてはやはり心配だっていうわけだ。
特に男子なら尚更、「アンタの人生だから好きにせい」と高みの見物などはできないのだった。
「大学受験ならもう親の出る幕はないもんね」って思ってたよ確かにその通り。 でも、
センターの平均点がもし低くても、その中で我が子の得点だけが奇跡的に幸運にも高ければいい。そう願うのはエゴイズムかもしれないけど。
自分の家族だけが幸せ・という状況は厳密にはこの世に存在しないのはわかってる、でも あんなに無茶な頑張りを、自ら望んでこの道に身を投じてる背中を 本当に理解してその来し方から(道程から)(歴史から)して褒めてやれるのは塾でも教師でもなく、 生まれたときから育ててるこの私達だけなんだから。
でもいつか親が全く関われない日が来る。その日までせめていまはできるだけの祈りを持ってじっと見守るしかない、これも修行って言っていいんですか。
そんなこんなをぐるぐると思いめぐらせられるこの一種の幸せをいつか我が子にも味わうことが可能であってもらいたい、 こんな願いもエゴイズムなのかもしれないけど。
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