| 2010年08月25日(水) |
五感六感の共有部分と専有部分(和の色事典) |
というわけで娘が居なかった夜。 前から買ってあった本が居間に置いてあって 娘が興味深くページを繰っていたのを、私もじっくり読んで(というか、観て)みた。
視覚デザイン研究所 http://www.shikaku-d.com/ が出している、
『定本 和の色事典』(発行所・視覚デザイン研究所、企画・内田広由紀) http://www.shikaku-d.com/catalogue/catalogue203.html
日本には、もんのすごく多くの、色の名前が存在していて、 その1000以上の色名について、それがどんな色だったのか蘇らせてくれてる、 題名通り、色の事典。
「500の固有名と100のトーンの組み合わせでつくられている」(引用)そして色名には「絶対値がない」(引用) 普通は網膜上の3種の錐状体が受け取った光の三原色の配合を色として感じて、 それを脳は日本人の情緒・美意識でもって名前をつけて愛でる。
なんだか悲しくなるほど膨大な、境界線の曖昧な色の区別、
たとえば第148ページあたりの、若草色と黄緑と萌黄色と青柳色は、もう、違う色なんだよ・・・。 たとえば、藤色ったって、青藤、薄藤、似藤、藤鼠、京藤、藤紫、南京藤、白藤、 たとえば、 白と純白と銀白色と雪色と乳白色と真珠色とは、やっぱり似てるけど相当違うの。
ってことは、銀も雪も乳も真珠も、心から愛されてて、愛するモノには名前をつけたくなるから。
息子も、時たま、この本を手に取り眺めていることがある。 錐状体を2種だけ持っている彼の網膜にはそれがどんな風情に見えて感じているのか、は 私が想像しても知ることはできない彼だけのものだけれど。 何かを確かに感じている筈のその視神経と脳細胞とその奥の日本人の遺伝子と環境が育んだ思考パターンに 思い致してしみじみし そして感覚は視覚だけじゃなく嗅覚、味覚、聴覚、触覚みんなそれぞれの感性なんだよねと 共通項と独自性との間の幅が時にメッチャ広いからこそ、言葉の存在価値もまたあるんだろうねと 思うと、改めて「ヒトって・・・一体・・・」って瞑想しながら眠くなっちゃう。
カシスジャムを舐めてマヨネーズ味を感じるのは私だけか? 金物のスプーンとフォークが触れ合ったのを見ただけで舌の先が痒く酸っぱくなるのは普通なのか? それが解明されようがされまいがそれは、どうでもいいけど、 私の体の感覚は今のところは、私だけのものであって、彼の体の感覚も今のところは、彼だけのもの、 でも且つ、ある部分では共有されている、共有されていく文化的財産な気がする。
自分が好きなものを相手にも好きになってもらいたいという気分は、厳密には叶わぬものだと知りながら どうしてそんな欲求が出てくるのだろう。ヒトだから? アリはどうなの、ネコは?
色、味、音、匂い、肌触りとか、諸々の、この世の中の 何を好いて何を嫌うか、そのときの体の反応が創り出しながら、それを横に縦に伝えあいながら、 いろんなことをやってきた同じ人類同士でもありながら でも、やっぱり私のこの体は今は私だけのもので、誰ひとりとしてこれと全く同一の感覚を持つ身体は無いんだね。 血を分けた親子兄弟でもそうなんだから、それが悲しかったり面白かったりする。
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