子どもと言い合いになったとき 「言い過ぎた」と思っても互いに素直に謝れないとき 「為を思って言ったんだから、私は悪くなかった」とかなんとか、自分に言い訳してしまう。 何が目的だったかも見失って 子どもの口を塞ぐようなことを言ってしまったり。 喋る前に聞け、とあとから自分を叱っても遅い。 何のメンツを、そんなに後生大事にすることがあるのか私。 自分を正当化したいために武装してしまう。 揚句、結局自分をごまかしている。
それから、夫に対してもやはり、武装しようとしてしまう。
※以前、何度も繰り返し(殆どユースケ氏目的で)観たドラマ、 「今週、妻が浮気します」の中でも語られていたことだけど こっちが鎧で武装していると、相手の鎧も脱がせられない。 いつまでも戦争が終わらない。
なんか、つい意地になる。 普通に穏やかに話を最後まで聞いてみれば良いのに 反発したくなる。 何の気なしに彼が言ってる言葉にイチイチ反応しては 責められてるわけじゃないのに、私が責められる前に、 かわそうとする。有害無益な防衛反応。 良い振りをしたい。 何にこんなに怯えるのか私。
どうしても、私はまともな妻だと彼に思われたいらしい。 で、そのくせ、 彼の価値観より私のそれのほうがずっといいじゃない、とまで思っている。 彼のことを本当に理解しているのか? 彼がしっかりしてるお陰で私は本を読んだりDVDを観たりしていられる、ということも忘れて。
こんな反応をどこかで返された、デジャヴがある。 そうだ、若いころ、私が何の気なしに発した言葉が悪意に受け取られた。 彼女を責めてもないのに、責めてると思われて先制攻撃された。 しかもそれを「あなたの為」という大義名分で反論不可にされた。 そんな彼女に私は到底心を開けるはずもなく より一層彼女に対して武装しながら避けていたけど そもそも、私が「何の気なしに」発した言葉は、彼女の思いを全く酌んではいなかったのかもしれない。
今なら分かる気がするよ、彼女の気持ち。 まだすっかりは許せてないけど、それは私の問題。
どこかで自分を正当化したい気持ちが、こんなにも自分の中にあるのは何故だろうか。正当であることと、正当「化」とは違うでしょう。
アービンジャー・インステチュートっていう、アメリカにある哲学研究所が出している本に、 「箱」の法則 というのがあって、こないだ読了できた。 さっき書いた鎧は つまりそこでは「箱」と名付けられ その「箱」の中からまず自分が出て平和な視点を取り戻せば 他人をも「箱」から出して戦闘状態を終わらせることを 促せるっていう。 以下、かいつまみ纏め。
「箱」に入っている状態=相手を「人」とは見られなくなっている状態。 気持ちも背景も歴史も事情も持つ「人」なのに そんな相手の気持ちも背景も歴史も事情もなにも酌めなくなっていて ただ自分の行く手を塞ぐ「物」としてしか ただ十把一絡げで括られる「物」としてしか 見ていない。
「人」と見れば相手は自分と同様に、気持ちも背景も歴史も事情もあって大事な存在だから、その人に優しくしたいのに、 「物」と見た瞬間に、優しくしたい気持ちにそむく。 そしてその気持ちにそむいたことを「自己正当化」せずには居られない。 どうやって自己正当化、 偏見や決めつけで相手を劣った存在と思い込むことで。 あるいは、自分には相当の権利があると拘ったり 体裁を気にしたり 逆に自分の劣等感から相手を妬んだり いろんなパターンがあるという、
自分自身で作りだしたそんな「箱」。 彼よりもまず自分が先に箱から脱出、できるかなあ。
自分で作った「箱」だから、自分で脱出できる筈。 相手を「人」と見て、彼をよく聴き、知ることで。 そうすればもう、無理に自分を正当化する戦いは要らない筈、武力放棄。
・・・で、得た教訓を使って 地味にだけど、今からささやかに変わろうとしてることがある。 彼に、何か言われたら、 何故「人」である彼がそれをそう言うのかについて もっと熟考してみる。 次に、私が何か言いたくなる前に、 「これから私が発しようとしているセリフは、私の箱を維持する為の、単なる自己正当化のセリフじゃないだろうか?」と検証してみる。 結果、私が「箱」から出た丘に逃れ、平和で見晴らしのいい場所に行く。澄んだ目と穏やかな心を取り戻す。 そうすれば、真に彼の為になるような、もっとましな考えも浮かぶかもしれない。 あるいは、彼のそのままを受け入れるという選択ができるかもしれない。
どの場面でも応用できそうだから、今日からやってみたい。
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