気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2009年02月15日(日) 眉唾だかどうだか、高次元を想像してみる。(感想その1)

人類が高次元の世界に「アセンション」するっていう、ゲリー・ボーネル氏の著書を、
妹の薦めで読んだので感想。

その前にまず、こないだ読んでた「引き寄せ」本への感想の続きから。

・・・人間の体・心・魂の発展増大が、神に望まれている、
っていう考え方については、まあ、概ね賛成なんだけど、
どうも、ヘタすると余りにも人間中心に宇宙が回ってるっぽい口調が、いかにもキリスト教由来な感じがちょっと。
私は、どっちかというと更に、もう少し仏教寄りが好きかな。
人間はあくまでも、一構成員に過ぎないと思う。
どんなに他の種よりも頭脳が発達しててもどこかに謙虚さが欲しいと思う。
(でもゴキブリホウ酸ダンゴは置かせて頂くけどね)

そういう、謙虚な意味での、我欲とか偏見メガネの手放し、
表面にとらわれない事象のとらえかた、
「渇愛」じゃなく、我を一旦捨てた状態での
(粗末にって意味じゃなくて自分も相手も自然として尊重)ひたすら与えることが喜んでできる「慈悲」を目指す、
という考え方のほうが好き。

で、
「新・光の12日間」について。感想沸々。
「なるほど。あるかも。」という気がしました。
本書はもっと仏教テイストに近くて。

スピリチュアルの人が話題にする「アセンション」の概念については、
(多次元への上昇とでも言えるかな、言葉自体難しくて)
不勉強なので簡単にはコメントできない。
四次元五次元が何なのか、わかりにくいけれど
あるとすれば、それは今の三次元のままの人間の内の奥にも既に在るんじゃないか。
もう、心の中に何次元だって在りそうじゃない、ちょっと考えても。

アカシャ、とか、アカシックレコードとかは、まあ多分、
「在る」って思ったほうが何かと腑に落ちる。私の中では。
宇宙の虚空に存在する記憶の殿堂、って、
結局、皆で何代にもわたって編集し更新してきた共同作品なんでしょう?
誰のやってることにも考えてることにも、
私からも誰からも、本来アクセス可能にできている、かも。

本書への感想をもう少し詳しく言うと、
私の中で、二つの見方が同時存在してる。
そのひとつは、
予言者の予言自体が
何かの読み違えかカンチガイかも?という一抹の疑い。
もうひとつは、
予言が真実を正確に伝えてるだろうと信じた上で、私自身はまだ当分、アセンションし切れなくてもいいかもという漠然とした願望。

以下、長くなるけれど前者のほうを。
後者は翌日の日記にて。

2012年って結構、急だ。
その変化は、目覚めた人には素晴らしい出来事だけど、
知らされてなく目覚めてもいない人にとっては酷というか不親切な出来事かも。
事前の説明や段階的な引き上げも徹底することなしに、いきなり愛する人と生き別れ(表面上)にされるなんてね、
分かりづらい。
それに、
まだ色んな葛藤を抱えて修行中の人に対して、地球上の目に見える物質世界から、いわば淘汰してしまうのって、
何だか。今までの彼らの苦労は何のためだったのかって感じ。

アセンションの時期が予言とズレて、
それを予言通りのタイミングで起こったと皆に思わせたい人が出てきたら
それが起こる予定の日に、薬物などの手段で無理矢理演出を仕掛けたくならないとも限らないのでは?という心配もあり。
疑うって言うより、つまり
この予言や思想が、変に誰かに不正に利用されたらヤだなという心配。

小さいころから、夜毎に観る夢みる夢すべて4〜5話くらいの内容が、自分の今世の記憶と経験だけでは到底思いつかない内容だから、
夢がアカシックレコードに繋がってるかもしれないという説は、信じられます。
ただそこに個人的に「アクセスできている」と主張する人が
本当に「正しく」読めているのかは誰にも証明できないと思う。
「読み間違っている」という証明もできないけど。
自分の翻訳フィルターで日常的にアクセスしている人はしている気がする。
人間の時間の物差しに縛られない記録であるアカシックレコードから、なぜ皆が2012年というタイミングを読み取るのかが不思議で。
マヤ文明のこととかもう少し詳しく知ると、きっとこの疑問も解消に向かうのだろうけれど。
ヒトの努力や意思の持ち方一つで未来が変われるなら(色々なパターンのパラレルワールドが同時に在り得るなら)
アカシックレコードから読めるのは、既に決まった一つきりの未来の記録、だけじゃない筈。
彼らはいったい、どのページを読んだのか?

時期の読みがもし外れても、色々な言い訳が立ちそう。

1、アカシックレコードに記録されているイベントは人間のカレンダーでは読み切れなかったんです。誤差です。
2、もう既に、予言通りのことが起こったのだけれど、気付くべき人にしか気付かれなかったの。
3、予言は、あくまで予告だから、未来は変えられる。変わりたくない人の思いが強くてそれが現実化しちゃっただけ。

※きたる日には電子機器が使えなくなるとかいう説もどこかで聞いた。でもそれは私は信じてない。影響受けるのは意識だけじゃないの?
だって、これまで人類が、先駆者から受け継ぎながら少しずつ前に歩んで汗と涙と喜びで築いた学問や芸術…
が詰まった現物デジタルデータの数々、コンピュータやDVD、
それが全て灰塵に帰し葬られる、なんてご無体な仕打、
有り得ない。ていうか意味が分からない。

お、そうか。私なんかが例えば
「あのCDと、あのドラマと、あのアニメと、あのサイトは、いつでも視聴したい。いや視聴するぞ!」などと強く思考していれば、
それらはこの世に残るわけだ。思考が実体として現れるのだから。
そうすれば、予言Aは的中し、予言Bは外れるのね。
(でももし私の傍に「そんなCDなんて聴きたくない」って思いを現実化する人がいたらどうなるの)

で、
私のもうひとつの感想(積極的な肯定が前提)は次回に続く。長文御免なさい。






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