(仮)耽奇館主人の日記
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| 2005年07月19日(火) |
身は苦界、心は浄閑寺のこと。 |
生きて苦界、死しては浄閑寺。 遊女の投げ込み寺として、その名をはせる浄閑寺。 ここと私の縁は、決して浅くない。 祖父の妻、つまり祖母の菩提寺で、祖母はかつて吉原の遊郭に身を沈めていたことがあるのだ。 実家の借金を返すために、十五で吉原に売られて、二十四で祖父に水揚げされて、お寺の正妻となった。 お寺に嫁いだのだから、当然、お寺を菩提寺とすべきなのだが、祖母は頑強に拒否した。 「あたしのお世話になった、ねえさんたちが眠ってる、浄閑寺があたしにとっての菩提寺でござんす」 そう啖呵を切って、親族たちを黙らせたという逸話をオヤジから聞かされたものだ。 それを思い出す度に、私はしみじみと微笑する。 それで、祖母と祖父にはそれなりの距離があり、市川に祖母専用の家が建てられたわけである。 私はお寺のある浅草で生まれ、ほとんどすぐに市川の祖母の家で育った。 私に遊郭の血が流れているというのは、全然気にならなかったが、世間様は常に好奇の対象としてきた。 知人のAV男優の娘さんも、父親の職業ゆえに好奇の対象にさらされているそうだが、彼女も少女ながら、常に無視するという処世術をとっている。 言いたい輩には言わせておけばいい。 今。 私のなかの、祖母の血が浮上してきた機会がやってきた。 今日、我が家に来宅した、「会田誠のTシャツをあげる約束をしている子」が、そういう、遊郭の世界がものすごく大好きな子だったのだ。 お友達と来宅した、カナちゃん。 見ただけで、ギラギラした欲望がうねっている、健康的な巨乳セブンティーンだった。 沙羅双樹をあしらった、派手なシャツに、大きなこれまた派手めのスカート。 そのセンスに、私は八十年代の匂いを懐かしく感じて、にっこり笑った。 屋根裏の書斎で、私の蔵書のなかから、春画とか昔のエロ関係を貪るように漁って、鰻を食べて、例によって、いっぱい荷物を抱えて帰ったのだが、久しぶりに心の底から凄みを感じさせる女の子だった。 祖母と同じく、筋が通っている。 それだけでなく、自分自身の欲望や内部世界にどれだけ、ストレートであるか。 そういう人種は、ほんとうに稀である。 なろうと思ってなれるものじゃないからだ。 今度、祖母のお墓参りをする際に、カナちゃんを浄閑寺に連れていくつもりだが、祖母も含めた、眠る遊女たちを前に、彼女は何を感じるだろうか。
おんなの悲しみ。 おんなの痛み。 おんなの苦しみ。 おんなの・・・
そこから、咲く花のうるわしさを感じることが。 永井荷風の心境を追体験することが。 おんなの艶やかさをものに出来る、心の化粧なのだ。
「色は匂えど散りぬるを」。
今日はここまで。
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