伊丹の事件が悲しい
喧嘩が強い その言葉で対立したふたりは 学校で評価されないスケールでの アイデンティティを探している という点において 多くの他の中学生と そう違いはなかったのだと思う
ただ まだお気楽でいられる中二と すぐ先に進路が決定する中三では 同じ言葉が 大きく違う意味を持つ
学校側は事前に諍いを知って 指導もしていたと言うが 偏った価値観でしか 生徒を教育できない場所で このふたりに届く指導なんて できるワケがない
もうとっくに世の中は あらゆる価値観が交錯して 何かに拠ることでの安定なんて 幻想でしかなくなっているのに 何十年も変わらない教育現場に 義務教育という名の下に 親は子供を託さなくてはならない
何事もなく卒業させる なんて思っているとしたら それは管理する側の詭弁でしかない ひとりひとりが生きるには もはや集団での教育なんて リスクばかりが多すぎる
わたし達には 義務の前に権利がある もっと子供達の 多様性を育てる教育を選べる権利 まともな教育を受けさせる権利 だがしかし 悲しいかなこの国には あまりにも選択肢がなさすぎる
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