先日友人と 最近お気に入りの呑み所へ行き 来し方行く末なんかを話した 豊岡に来てはや五年を過ぎ そもそもはその友人とふたりで 新しいものを作ろう というのがきっかけだった
その頃の試みを 着実に繋げていれば 今のコウノピアで ばんばん売れるものが沢山できたはず そうならなかったのは 何をどう作るかという以前に わたし自身の逃れられないテーマがあって 誰と共同しようが いつもその周囲をぐるぐる廻っていた
誰かによって触発され それまで具体的でなかったビジョンが広がり さまざまな薫陶を受けて調節して行く その繰り返しの中で いざというときに するりと逃げようとする自分がいる 局面においてのイージーさが積み重なって 気付いたときには どう修復していいのかすら解らない
およそ人当たりのいい風に装っているけれど わたしの中には 自分でも手を焼くような硬い何かがあって そこには誰も触れさせたくない イージーに開いて拡大を指向する部分が その硬いところをもひりひりと刺激して 境界線がどこかを意識させられる そしてギリギリ開かれないものこそが 他ならぬわたし自身を顕しているようにも思える
もっともそれは 自分にだけ起きていることではなくて わたしが関わる相手にも言えることで だからこそ出会っているのだろう けれどそろそろ 対象を必要とせず 自分自身で薫陶すべき時期に 差し掛かっているような気がする
おりしも 靖国北方領土と この国の硬い何かを意識させられる事例が続く
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