愛なき浜辺に新しい波が打ち寄せる
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2017年04月16日(日) 何者でもないからこそ

 前の会社の同僚と会ったり、大学時代の同級生と会ったりで、いっぱい話したし、いっぱい話を聞きました。私は話すの苦手だし、話を聞くのも下手なんですが、気の合う人と話をするのってほんとう楽しいことなんだなってしみじみ思いました。楽しいだけじゃなくて、改めて考えさせられるというか。人生の話になったりもするんですね。色んなことが起こるじゃないですか。いいことも、悪いことも。ちょっとしたことなら毎日だし、まあまあスケールでかいことも降りかかってきたりして、どうしようかなって。自分一人ではなんとかできなかったり、自分一人でなんとかしちゃったらダメな場合もあるし。でもやっぱり最後は、結局は、自分が決めるしかないんですけど。友達が、人生の岐路的な場面にぶち当たってて、自分の希望はあるものの、両親の反対に合っていて、どうしたもんかなってなってたんですね。それで、その子が、「今までずっと、進学にしても、結婚にしても、無意識的に親の意向に沿うようにしてきたのかもしれない。お父さんもお母さんも、私を従わそうとはしなかったはずだけど、ことあるごとに『提案』をしてきて、私はその通りにしてきた気がする」というようなことを言ってて、そこから、自分自身を見つめ直す感じになってったんですね。この年になっても、もっとずっと年をとっても、それこそ死ぬ瞬間まで、見つめ直す機会ありまくりだと思うんです。岐路においてどうするか決めるとき、まず自分はどうしたいのかっていうのがあるはず、そう、それはあって当然のものだと思ってる人が結構いると思うんです。だから、悩んでる人に、「自分はどうしたいの?」って普通に聞いちゃう。とりあえず答えが返ってくると思ってる。でも、こちらは、返す答えが見つからない。どうしたいのかいまいち分かんないんですよ。どうしたいのか分からないからどうすればいいのか分からないというか、まだ、どうすればいいのか考える段階にすら達してないのかもしれない。でも、答えを出さなきゃならない状況で、自分の気持ちがボヤッとしたまま、こっちを選んだら親にとってどうか、子供にとってどうか、この先どうなるか、って色々考える。考えてるときに、「そもそも自分はどうしたいわけ?」って聞かれたら、えっ?ってなる。どうしたい?どうしたいとは?私、どうしたいんだろう。どうして私は、私がどうしたいのか分からないんだろう。それで、「一体私は何者なのか」問題になり、私には私が分からない、ってなっちゃう。そういうことを、ここのところ、とんと考えてなかったんですが、久しぶりに考えたりしました。考えたって答えは一生見つからないんですが、そういうことをたまに考えるのもいいなっていう。


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