愛なき浜辺に新しい波が打ち寄せる
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2015年05月06日(水) コンビニネタ続編8(終)

 バスを降りて、近くの書店へ。問題集でも買うのかと思っていたら、郭はタウン誌とか見てる。真田がちょっと意外に感じてたら、
「どこかいいとこないかなと思って。一馬、行きたいとこある?」
 だって。デートスポット探しですか。
 その後、真田邸へ。いつもは、入った途端に母親が大歓迎ムードで出迎えてくれるのだが、今日は出て来ない。
「お母さん、今は留守?」
 買い物にでも行ってるのかな、と郭は思う。真田は、ああ、とだけ返事をし、上がって、と言って、靴を脱いで先に入る。その様子が、なんとなく頑なで、郭は不思議に思った。母親のいない真田邸は、ひっそりと静まり返り、いつもとは違う雰囲気だった。
 先に真田の部屋に通されて待っていると、真田が、お茶とお菓子をお盆に乗せてやって来た。
「ありがとう」
 郭の言葉に、真田は軽く頷き、腰掛けた。
(一馬、なんか、機嫌悪い?)
「英士、唐突なんだけど、夕飯、うちで食べて行かないか? 無理だったら全然いいんだけど」
 夕飯のお誘いは、真田母から数回受けたことがあるが、丁重にお断りした。来訪の度にお菓子を出してもらってるし、その上夕飯までとなるとさすがに申し訳ない。ごちそうが出てきそうだし。こちらは何も返せない。お返しなど全く望んでいないだろうし、むしろ一緒に勉強してるお礼とでも思ってそうだが、それならなおさら気兼ねだ。せっかくの誘いを断るのも申し訳ないが、どうしても遠慮してしまう。そのことは真田に伝えているし、そしたら、「そうだよな。気にせず断って。母さんも気にしないし」と言っていた。郭が返事に少し困っていると、
「今夜は父さんが出張でいないんだ。それで、母さんは、朝早くから友達と日帰り旅行に行ってる。女五人で温泉だってさ。…それで、帰りが遅くなるんだ。9時くらい。英士を家に呼ぶかもって言ったら、ついでに夜ご飯一緒に食べたらって。母さんがいないならそんなに気兼ねがないんじゃないかって。夕飯一緒するなら、適当にピザでも取るって言ったんだけど、なんか色々用意したみたいで。なので、よかったら、食べて帰って。よかったら、だけど」
「…じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとう」
「ううん。ごめん。早く言えって感じだよな。でも、言いづらくて…」
「いや、全然。気兼ねするんじゃないかって気にしてくれてたんだね」
「いや、そういうんじゃなくて、ただ、他意があったので…」
「他意…」
 そこで、郭は気付く。9時まで二人っきりってことに。まあ、郭の家行っても二人きりだけど。でも、真田にとっては、郭家は落ち着かないんだ。真田には、郭の親がいつ帰ってくるかなんて分からないし。マンションって隣の部屋の会話とか聞こえるのかな、とか思うし。
 郭は、まあまあ動揺してしまい、咄嗟に返す言葉が見つからない。真田は、そんな郭の様子に、うろたえて俯いてしまう。しばらく、気詰まりな沈黙。そしてやっと、郭が、
「一馬、俺の話を、しょうもない、どうでもいい話を聞いてくれる? それは、一馬が気になってるけど聞きたくないって話なんだけど、いい?」
「…俺は、聞くよ、どんな話でも」
 顔を上げ、郭と目を合わせる。でも内心、よりによって今かよ、という気持ちだった。
「あれは中一のとき、」

 郭は、三学期の学級委員だった。ある日の放課後、クラスの副担任である若い女の数学教師に、手伝ってほしいことがあると、数学準備室に呼ばれた。そこで、なんか、そんな感じになったんだ。そんな感じになったというか、先生が、そんな感じにした(適当な説明!)。郭は、一学期から、その先生に気に入られてるっていうのを感じていた。でも、別に嬉しくもないし、特別嫌でもなかった。放課後呼ばれたときは何も思わなかったが、準備室に入って、先生の顔を見たとき、そういうつもりなんだな、って思った。そういうことがあったのは一度きりで、その年度末に、先生は結婚して退職した。

「…とんだ淫行教師じゃないか。中一相手に何すんだ。結婚退職の前に懲戒免職だろ。結婚だって破談だ」
 話を聞いた真田の声は、驚きと怒りで震えていた。
「俺が抵抗して、公にしてればね。相手が本気なら、拒否してた。でも、そうじゃなかった。向こうは、遊びだった。だから、まあいいかって気持ちになったんだ。どうでもよかった。今振り返れば、流れに身を任せたりして愚かだと、呆れるしかない。スリルと短い官能があったかもしれないけど、そこに、喜びはなかったよ。当然だけどね。苦い記憶として残るだけ。自分を大事にしてなかった。自分が大事じゃないから、相手も大事にできない。大切なものが何もない。何が大切か分からない。淡々とした生活が延々と続いていく。それが苦痛かどうかも分からない。世界にも自分にも色がない。明日も明後日もこの先ずっと、死ぬまでこうなのかと思うと、窒息しそうになることがある。でも、それも一瞬だ。次の瞬間には諦めがつく。仕方ない。多かれ少なかれ、誰でもそんなふうに感じることはあるだろうと。誰のことも好きにならないと思ってた。高校を出たら、極力親を頼らず、一人で生きて、一人で死ぬ、そういう将来しか思い描けなかった。
 でも、もう違う。俺にはお前がいる」
 郭がこんなに滔々と話すのは初めてで、内容以前に、それに圧倒されて、真田は言葉を失う。後からじわじわと言葉が染み込んできて、胸に迫った。
(お前、って、初めて言われた…)
 そんなとこにも感動したりして。
「一馬、いつか俺と抱き合ってよ。本当の喜びを教えてよ。共有して」
(『いつか』っていつだよ!)
 というのは、真田の心の突っ込み。でも、自分がこう思ったことを、そしてこの後の自分の言動を、真田は後で悔いることになる。抱き合うって表現に、つい高ぶったけど、郭は、中一の件のせいで、そんなすぐには積極的になれないのかもしれないじゃないか。
「…俺もそれを願ってる。なので、テストが終わってから、男同士ってどうすんのか、色々調べてみた。結果、ハードルが高いな、と思いました…」
「別に、挿入なんてなくていい。ハードルが高いって、そこでしょ。俺はそれが重要であるとは思えない。それだけが官能なわけじゃない」
「ははは」
「え…、笑いの要素あった?」
「だって、英士が、綺麗な顔して綺麗事言うんだもん。嘘っぽくて笑っちゃった。重要事項だと思うよ、俺は。ハードルが高くても、試してみる価値はある。最初から、なくていい、なんて思えない」
「…そ、そうだね」
「まあ、それは、おいおい…」
「一馬ほんとに経験ないの? 異性とも同性とも? 物言いが経験者だよ」
「断じてない!」
 真田の物言いが、やけに世慣れてたり流暢だったりすることがあるのは、本を結構読んでたから。親の教育方針で、小さい頃から本に親しんできた。でも、中学に入ってからは、読書にあんまり興味がなくなった。郭も本は読む方だけど、ジャンルが偏ってる。
 真田は、おもむろに立ち上がり、部屋の北側の引き戸に手をかけて開ける。郭は、初めて真田の部屋を訪れたときから、戸があることには気付いていたが、クローゼットか押入れだと思っていた。でも、戸の向こうは和室で、そこが真田の寝室のようだった。寝室は、今いる部屋と同じくらいの広さだった。自分の部屋が2つあるようなものだ。マンション住まいの郭には考えられない。まあそれはいい。
「用意周到だろ」
 和室には布団が敷かれていたのだった。
「敷いとくべきかどうか悩みに悩んだ結果、敷いといてみたんだけど」
 さすがにちょっと照れつつ。
 一方、郭は、この展開にかなりびびってる。
「あっ、引いてる! 敷かなきゃよかった…」
「い、いや、引いてるとかではなくて! 戸を開けたら寝室があった、という驚きだよ。押入れかと思ってたから」
「…ふーん?」
「…あとはまあ、心の準備ができてなかったというか…」
「へー…。抱き合って、とか、本当の喜びを教えて、とか、殺し文句言っといて、心の準備ができてないって、お前…。それは、マチカフェで、『何がオススメですか』って客に聞かれて、『期間限定の抹茶ラテです!』と堂々と答えたにも関わらず、発注忘れで粉がなくて抹茶ラテを作れない、という事態よりも酷いな…」
「すみません、もう準備はできました」
 それで、二人で和室へ。戸を閉めると、寝室は、引かれたカーテンの隙間から夕方の光が入るだけで、薄暗い。
 どちらからともなく近寄って、抱き合って、口付け合った。
「一馬って、何でこんな良い匂いするの。なんか、それだけで、もう、」
「そんなこと誰にも言われたことないけど…」
 ぎこちなく服を脱がし合いつつ、
「暗いね…。一馬、照明、点けちゃ駄目? もうちょっと明るい方が」
「俺はもっと暗くてもいい」
「これ以上暗かったら、見えないよ…。
 一馬、ちょっと確認したいことがあるんだけど、いい?」
 二人とも上を脱いだ後、郭が言って、真田の前に、おもむろに跪く。
「えっ、何!?」
 郭は、真田のベルトに手をかける。ちょっと待て何すんだまさか舐めるとかじゃないだろうなそれは無理だってまだ風呂入ってないし、という真田の焦りなど、郭は露知らず。
「前に、雷の話、してたじゃない。へそを取られる話。あのときから、ずっと気になってて」
「何が」
「どんなへそしてるんだろうって」
「…普通だよ…」
「見せて」
 ベルトを解いて、ボタンを開け、へそを確認。
「…! こんなところに…」
 郭は、本当にいいものを見つけた、というように、嬉しそうに、指でそっと触れた。へそじゃない。そのすぐ横に、ほくろがあったんだ。なんて官能的なんだ、ってなる。
「一馬のへそが取られなくてよかったよ。俺が雷様なら、絶対取るけど。ほくろごと」
「はいはい」
 へそに、ほくろに、そっと口付ける。
「う…」
「もう、幼稚園の頃の写真には興味なくなったよ。だって、どんなに可愛くても、今の一馬には負けるよ」
「言ってろ」
 真田は、自分は立っているのに郭は跪いてるって状態に耐えられなくなってきて、同じように膝を付く。
「英士…」
 目の高さは同じになったけど、恥ずかしくて視線を合わせられない。真田は、きちんと敷かれた布団をちらりと見た。そしたら郭もそっちを見て。それで、お互い無言で、下も脱いで、裸になって、布団の中で、お互いの体を触り合ったりするといいよね。いいよねって。
 もう言葉は何もなかった。必要なかった。聞こえるのは、息遣いと、耐えても漏れる声、布団が擦れる音。

 触れ合い(…というか…)の後も、布団の中でくっついてた二人だけど、もしも母親が予定よりも早く帰宅したら大変なので、身なりを整えて、食事することに。
「あ、ごはん炊いてない」
 早炊きならすぐできるので問題ないけど。冷蔵庫の中を見ると、おかずがいっぱいで、これを二人で食べろと…? と、真田は少し困惑。今夜のために、はりきって昨夜から仕込んだり、朝早い出発だというのに早朝から用意してくれたのだと思うと、母親に対して後ろめたい気持ちになった。
(でも、黙って女の子を連れ込んだとかそんなんじゃないし。相手は英士だし、いいよな)
 なんて、言い訳してみたり。
 料理を温め直してテーブルに並べてるうちに、ご飯が炊ける。
「パーティーみたいだね」
 と、テーブルにずらりと並んだ料理に、郭が驚いて言った。
「パーティーだな…」
「申し訳ないけど、ありがたいね、ほんとに。それに、今の俺の内面にぴったりだよ。パーティーでもしたい気分だから」
「えー…」
 二人で食べてる途中、真田は、ふと気付く。
「あっ、英士、箸の持ち方、変」
「気付いた? おかげさまでペンの持ち方は直ったけど、箸はなかなか」
「不自由ないならいいんじゃないか?」
「直すよ、そのうち」
 真田は、何か急に恥ずかしくなってくる。少し前まで、薄暗い部屋の布団の中で肌を合わせていた相手と、向かい合って食事をしている。あんなことのすぐ後なのに、普通に会話して、普通にご飯食べるとか。別に大したことなどなかったように。そんなのできっこない。
「あーーーー、思い出したら恥ずかしくなってきた。恥ずかし過ぎて、対面でご飯とか無理」
「俺は恥ずかしさより、抱き合えた喜びで胸がいっぱいだよ」(恍惚)
 郭のうっとりとした表情に、真田は我に返って、落ち着いてくる。
「抱き合えた、か。途中までだけど」
「充分だよ。もうこの先一生何も無くても、俺はこの時の記憶だけで満足できそうだよ」
「えっ、もうしないのか?」
「いや、さっきのは例えばの話」
「そういや、英士が見る夢ってどんなの? それって願望? なるべく希望に添うよう努力するよ? あ、変態的なのは無理だけど」
「…恥ずかしいんじゃなかったの?」
「箸の持ち方、別にいいんだけど、気付いちゃうと、気になるなあ…」
「…こう? これなら合ってる?」
「なんか違う!」
 まあ、そんな感じで、パーティーします。

 帰り際、玄関で、真田は両手で、郭の両手を優しく包み込む。
「ほんとに、無理に直さなくていいよ、箸の持ち方。
 あと…、中一のこととかが原因で、性的なことに恐怖や嫌悪感があるかもしれないのに、性急でごめんな」
 やっとそこに思い至った真田です。
「いや、それは、全然、」
「ううん、本当に、ごめんなさい」
「いやいやいや、むしろ、こちらが、ごめんなさい」
「今日はついつい、急いじゃったけど、でも、これからは、気長にいこう。お互いの気持ちを大切にして、話し合って、たまにはケンカもして。俺は、英士を大事にするよ。英士も俺を大事にして。もう、何もかも、諦めなくていい。明日は今日とも昨日とも違う日だよ。毎日、色んなことがある。楽しいことも、つらいことも。心配ない。大丈夫。だって、これからもずっと、お前には、俺がいる。頼りないけどさ」
 神様…、
 って、郭は思う。この世に神様がいるように感じられたのか、真田が神々しく見えたのか。
 頼りないわけない。たとえこの先、何があっても、ひどい別れ方をしたとしても、この言葉が、生きる希望となるだろう。なんて心強いんだろう。でも(だからこそ)、何も言葉が出ず、不覚にも(不覚ではなく)、涙がこぼれた。
 そしたら、
「泣き顔も綺麗だな」
 って、真田が言った。

 おしまい。


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