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愛なき浜辺に新しい波が打ち寄せる DiaryINDEX|past|will
日記て、いったん止まるととめどもなく止まるよなって、あかりさんと話してた。そうそ、年単位で止まる(素)毎日書いてると思ったら、半年止まったりで、極端。週一ペースくらいが理想なんだけど。それはそれとして、夫婦間で揉め事ってほどでもないが行き違いがありまして。そのせいで日記書いてなかったわけじゃないけど。前にも書いたけど、夫て、生きるのに物語を必要としない人なんですよ。私は、物語がないと生きられないっていうか、物語のおかげで生きることができてるってかんじなんだけど(しかし物語にがんじがらめになって息苦しさを感じることも多々ある)。私にとって、物事には物語があり、母親も夫も子ども、大きな枠で見れば物事の一つ一つではあるが、特別な物事であり、特別な物語そのものである。しかし、夫にとっては、物事は物事でしかないんだ。物事の背景に物語は存在しない。物語らしきものがあったとしても、それも物事として捉えるから、物事の背景に物事があるだけで、どこまでいっても物事のみ。だから、状況に応じて、平然と優先順位をつけることができたり、事務的に処理できる。そんな夫のことを、私は理解できないというか、理解したくないというか。私は、物語なき世界に救いはないと思っているのに、夫は物語なき世界の住人であり、救いなんて必要としていない。普段はそのことに感心しているんだが、真剣に話し合う場面になったとき、そんな夫を不気味に感じることがある。話し合いにならんしね。夫は、私がどんなに真剣に話したって、そんなの全部妄想だと思ってるから。だからよく、「考えすぎだよ」と言われるんだけど。確かに妄想も入ってるかもしれないし、考えすぎてる部分もあるかもしれないけど、そんなふうにたった一言で切り捨てられたくない。あなたにとってはただの妄想でも、私にとっては切実な物語であるのに。とか言ったって、余計頭おかしいと思われるから言わんけど。私にとって大事なことが、夫にとっては全く無意味なことであるって、ちょっと寂しいね。って、たまに思うね。夫と話してると、言葉は無意味だな、と絶望することがある。夫の言葉は、物事を述べるためにある。物語を形成するための言葉は持たない。なぜなら、持つ必要がないから。そんな夫に、私の言葉は通じない。でも夫に通じないからってだけで、言葉が無意味なわけないじゃないか、ってすぐ気付くけど。夫との間に、大きな隔絶を感じるよ。夫は、私のこと「変わった奴だな」と思ってるだろうけど、私も同じように思っちゃうことある。でも、そうじゃなくて、タイプが全然違うだけだから。まあ、いいんだけど。全然違うから、いいこともあるだろうし。似た物同士だからってうまくいくとも限らないし。ちなみに、ほんと真っ当でいい人なんですよ、夫は(最後に一応のフォロー)
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