| 2004年02月08日(日) |
corset(by嶽本野ばら) |
『corset』という短編。 単行本『エミリー』の2話目に収録されている。
人生とは、身体を縛るコルセットのようなものだ。 主人公である“僕”は友人の“希彌子”さんが30歳で自殺をしたことで、 自分も自殺しなければという考えにとらわれる。 しかし死ぬことが出来ないまま、心は大きな虚無感に苛まれ、小さな精神科の 病院に通うことになる。 そしてそこで受付嬢をしている“君”と出会う。 “君”の笑顔は特別で、ついにあと数日で死のうと決心した“僕”は、意を 決して“君”にデートを申し込む。 (そのデートの場所が、中世のコルセットの時代から、コムデギャルソンや ヨウジヤマモトのコレクションのお洋服までを展示した展覧会というところに、 嶽本野ばらさんのエスプリを感じるのだが。) しかし、いろいろ話をするうちに、世界に絶望感のようなものを感じていて、 端から見ている自分や希彌子のようではなく、そういったことすら出来ず “フツウ”にとらわれている彼女こそが、自分や希彌子よりも深い孤独の淵に いたのだと、“僕”はいつしか知ることになる。 たった二週間。 二週間の間に起こったことは、彼と彼女を大きく変えることになったんだと 思う。 ラストで、一般的に言ったらそれは不倫ともいえる、ほめられたものではない だろう結末なのに、なぜか彼らの間には、一筋の光が差しているように思える。 さあっと光が、朝、雲の切れ間から地上に差すみたいに。 まるで祝福の鐘が鳴り響いているみたいに。 幸せへの一歩を踏み出しているようにも感じる。
人生には、そういうこともあるのだと。 他人から見たらぜんぜん誉められたことではなくっても、本人たちだけを救う 何か。 そういうものが、たしかにあるのだと。 そんなことをつくづく感じ入った小説だった。
作中での彼女の言葉、 「人は誰もが今も昔もコルセットをつけて生きているんですよね。常識とか倫理 とか体裁とかいろんなものに拘束されながら生きているんですよね。何かに拘束 されることが生きるということなんですよね」 という言葉に深い共感を覚えた私も、日々何かに拘束されていると感じ、彼女と 同じに“フツウ”とは何かということに、そうあるべきではないかということに とらわれている人間なのかもしれないと。 そんな風にも思った。
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