日記

2003年06月27日(金) チェッカーズという本−2(ちらりネタばれ有り)

つづきです。

ただ、一つ、後期チェッカーズの曲も人々もとりわけ好きだった私としては、
ここだけは言いたいなあと思った。
ちがうんだよ?と言いたいなあ。と。
それは怒ってるんじゃなくって、ちょっと優しいような気持ちで言いたいなと。
(後からどう考えるかわかんないけど、今はそんな気持ちなのだが。)

ちがうんだよ。って。
チェッカーズが落ち目になって売れなくなって、もしかしてファンも減って、
それでも続けていくことに、あのチェッカーズという、なんて言うか・・・
井上陽水とか、アルフィーとか、そういう人とまた違う、ある意味、売れない
といけない、そういうバンドで続けていくことに、何の意味が?
これを書くのはちょっと難しくて、誤解される可能性もあると思うけど。

私は解散の話を聞いた当時、最初はフミヤくんに怒ってた人間だから、単に
フミヤくんがチェッカーズっていう枠(と言ったら語弊があるが)みたいな
ものから自由になりたかっただけじゃん!って思ってた所があるから、多少
客観的なんだろうか?
あるいは単に主観的すぎるだけなんだろうか?

オリジナル曲をはじめてから、チェッカーズの良さは開花したんだよ?
あのまま、NANAを出さなければその終わりはもっとずっと早く来ただろうことに
なんで気付かないの。こんなこと書く私は、あまりにあの人たちを、チェッカーズ
というものを信じすぎていて、あまりにも痛いファンだろうか?

でも私はそう思う。
そして、客観性と先を見る目。見て取る力。それはフミヤくんという人の、
天性ともいえるところだと思う。

今更、間違ってたとか間違ってなかったとか、そういう話じゃないとも
思うんだけど、フミヤくんは、その先を見る視点という点で、間違って
なかったんじゃないかって。
私は、そんな風に思うのだ。

そして多分ないとは思うけど、兄がこの本のことで落ち込んだり、いろんな
人からとやかく言われて傷ついたり、そういうことがないことを切に祈る。
まあ、それこそ何関係ないこと心配してんだよ!ってことなのかも、しれない
けどね。笑


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dona-chan