日記

2003年02月23日(日) 後悔。

昨年の11月末に、うちの祖父の13回忌があった。
家で、仕出屋から会席料理みたいなものを取り、近い親戚だけを10人ほど
呼んで法事をしたのだが。
そのとき、妹・チカコと、「おじいちゃんが亡くなって12年も経つというのに、
主だった親戚の人々皆生きてるってすごいよね! 結構皆、もう70歳以上の人
多いのに!」と、半分感動して言っていたものだった。

あの日、ウチの祖母の実のお兄さんも、その法事に来られていた。
もともと何度か法事などの席で会ったことがあって、いつも温和で、にこにこ
されていて、私やチカコも大変好きだと思っていた人だ。

何故かそのおじいちゃんと私とチカコ(主に私)は、その法事の後半、ウチの
仏壇の部屋で1時間以上も話をした。その人が小さい頃の話とか、戦争の話とか、
若い頃の話を色々。
その人は生まれて5〜6歳のときまでアメリカのカリフォルニアに住んでいて、
うちのおばあちゃんはまだ小さかったから覚えていないだろうが、当時アメリカ
から日本に戻ってくるのに船で2週間もかかったとか、アメリカ人は幼心にも、
もう、とてもとても美しかったとか、もう少し長くアメリカにいたら英語も
話せて、戦争中に通訳とか出来たかもしれないのに、teacherとか、ほんの少し
の単語しか記憶には残らなかったとか。
若いときに衛生兵として海南島(だったと思う。たしか。)に行っていたとか、
中国にも戦争で行って、(たしか)上海にいたとき、揚子江(=長江)がもう
とても大きく、対岸は見えなかったとか。中華料理は本当においしかったとか。
自分は衛生兵だったから、中国人が手に入れることができない薬を持っていて、
それをあげると中国の人々がとても喜んだとか。そういう話を長い時間していた。

私が楽しく一緒に話をしていたからか、向こうもとても楽しかった様子で、
「今度うちに遊びに来なさい。また話ば(話を)しましょう」と帰り際に
なんだかちょっと名残惜しそうに言われ、
「はい、行きますね!」と私は本気でそう思って答えて、笑って手を振って
別れた。

その人が今日の朝、突然に亡くなったのだ。もともとあまり心臓が良くなくて、
今朝、散歩に出たときに発作を起こしたようだ。とのことだった。

12月とかお正月とか、うちの親と祖母はその人のお宅をお墓参りも兼ねて
訪ねていた。そのときに一度、
「今日は上の人(=私)は来られんかったとですか?」と言われたという話も
母から聞いて、ああ〜行けばよかったな。とその時も思ったりしていた。

今日、突然にそのおじいちゃんが亡くなったと聞いて、私の後悔と来たらない。
行けばよかった。お正月にでも。行ってあげたらよかった。
とてもお元気そうに見えたから、まだまだいつでも会えると思っていた。
もう二度と会えないなんて、夢にも思わなかったのだ。
今日、近所のパーマ屋に行っていたときに、家から夕方電話がかかってきて
そのことを聞き、一瞬で襲ってきた大後悔に、恥ずかしくもその場でぽろっと
泣いてしまった。ってくらいだ。

しかも、あの時、あんなに楽しく話をしたことを、普段この日記を長ーく
書いてるにも関わらず、こういう時に限って書いていない。
今日書こうとしても、なんということかうろ覚えで、覚えていない所が多かったり
する。バカバカ私のバカ〜!って感じだ。もう本当に。

でも考えてみたらもう85歳とかなんだから、いつ何が起こってもおかしくない
年齢だったのだ。悔やんでも悔やみきれないとはこういうことを言う。と思う。

お別れを、ということで、お通夜は明日とのことだったが、その人のお家に
さっき家族で行ってお参りをしてきた。行けてよかった。それだけでも。

そして思い出してみて、あの法事の日に、笑顔で別れることができたことも、
良かった。とは思う。
いまだにその後会いに行かなかった後悔から抜け出せないとしても。

でも友人Kもさっきメールで言っていたが、人の世って、きっとそういうモノ
なのだ。そんな中で、いかに後悔しないように生きるかというのが大事なんだと
つくづく思った。毎日、日々に流されて忘れてしまいがちだけど、どこかに
それを忘れないように持っていなきゃ。って。そんな風に、かなり真剣に
思った出来事だった。


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dona-chan