日記

2002年03月24日(日) IN AND OUT(ALBUM by 藤井フミヤ)

2年前、2000年の夏に発売になった藤井フミヤのアルバムである。
IN AND OUT。
たぶん、兄がいちばん音楽的方向性を考えて悩んでいた時期に出された
アルバム。
ものすごい盛り上がりがあるってこともなく、ただ淡々と、美しいメロディーが
つづくアルバムだと思う。私の中では。(でもそんなこと言いつつも、後半の
“MY PACE”や“Breakfast”というアップ曲は大好きだったりするのだが。)

セールス的にすごく売れた。ってこともない。
つづくOUTSIDEという2000年夏のツアーが、特にものすごく素晴らしかった
ということもない。
だから当時も、その後でも思っていた(たぶんそう思ってる人は結構多い?)
ことなんだけど、藤井フミヤという人の音楽的な活動ということだけ考える
と、このアルバムを出す必要性はなかったんじゃないか。とか。
1年休憩して、その翌年に備えるという形も取れたんじゃないか。とか。
今更ながらに、そんなことまで思ったりもする。(勝手なんだけど!笑)
まあ、フミヤくん自身がアルバム出さずにいられないかな。
ライブしないでいられないかな。って気はするのだが。

しかし。
私個人の中では、それこそ今更ながらに、ああ、このアルバムって私にとって、
必要だったなあ!なーんて思ったりもする。

ちょうど2年前、私は会社の人から紹介された人との関係を終わらせようと、
かなり必死になっていた時があった。
本当のところは当時私にはどうにも言えないんだけど好きな人がいて、その
人を好きだって自分でわかったときには、すでにその紹介された人と会ったり
していて、自分の中では、そんな失礼なことは続けちゃダメだ〜! でも
まさかあの人が好きなんて他の誰にも言えない! とか思ったりしていて、
まあ、その紹介された人について、ああ合わないなあ!ってたくさん思ってた
ってこともあり、相手の気持ちはあんまり考えないで色々ヒドイこと言ったり
して修羅場みたいなことになったというかなんというか。
結果的に、相手のこともたぶんかなり傷つけたんだろうし、最後に相手から
はねかえってきた言葉に、私自身がものすごーく傷ついたっていうか。

まあ、そんなことが2000年の3月末に起こり、まったくその後の私の
精神的やさぐれ方といったらなかった。たとえ自業自得であっても〜。
あのときの、もうどうでもいいや!とか、このままなんか事故とか起こって
突然私が死んだとしたら、どんなに楽か!とか、(イヤ、結構単純なんだが)
そういうマイナス要素、あまりにもネガティブな気持ちの渦を思い出すだけで、
今でも結構目の前が暗くなる。ってくらいだ。
同時期に(そのこととは全然無関係だが)人事異動になったりして、新しく
配属された部署での私の仕事内容、やることといったら、それは我ながら
思い出しても酷いもので、言い訳なんだけど当時の支社長や同期Nちゃんには、
ああ申し訳なかったなあ!と本当に思ったりする。

そして、やっと2年経って、フツウに思い返すことができるようになった。
って思う。
なんというかこの2年って、私にとってリハビリ期間だったんじゃないか?
とまで思っちゃう程だ。ちゃんと前を向くために2年もかかったのでは?って。

そうして2000年夏の私は、あんまり現実生活がきつくてやってられなくて、
明らかにフミヤくんに逃げていた。
兄ソロになって1ツアー1〜2回しかライブに行ってなかったものが、OUTSIDE
だけで5回も行ったのは、半分以上、そういう原因があったんじゃないかとか。
結構真剣にそう考える。

そして、IN AND OUTというアルバムについて、1曲目“INSIDE”から、あの
うつくしい前奏、ムダな音とか排除したキレイなキレイなストリングスの音を
聴くだけで、「ああ、ツラかったよ!」って思い出す。
聴く度に、「助けてよ」って思ってたなあ〜。って。
あんなにも、自分の中でも他のファンの人にもかなり不評だった“裏どおりの
天使たち”というチェッカーズのカバー曲、あの曲でさえ、「ああ、裏どおり
の天使たちでさえ、私に必要だったのか・・・」とか思っちゃうくらいだ。

そんなの思い込みだろうし。単に私がツライとか苦しいとか思うのが好きな
だけかも? とも思うし。
こんな風に思わず分析しちゃうファンがいることも、兄にとってはツライの
かなあ。とか思ったりするし!笑

でも、本当に、あの人の歌があってよかったなあ、私。とか。
もし、その歌が一般的に忘れ去られても、誰かの心の中にはずっと残るよ
フミヤくん。
だって、そういう風に、私の中で生きている。って。
2年経って、そんな風に思ったりする私であったよ。


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dona-chan