しむちゃんのつれづれ日記
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2003年10月21日(火) 日本の常識は世界の非常識である一例

とある本の記述には、日本の仏教は本来の仏教の姿ではなくなってしまって
いる、とあります。名付けて「日本教」。それは何かといえば、戒律を排除
してしまったことにあるといいます。

そんな本来の姿ではなくなった日本の仏教を正しい姿にすべく難破を繰り返し、
盲目になりながらも渡航を強行したのが、かの鑑真です。戒律が仏教に大切で
あることを教えるために失明しても渡航するだけの大変な熱意を持っていたと
いいます。日本では仏教が盛んだと最初はうれしかったらしいのですが、それが
戒律のないものと聞けばいてもたってもいられない。そんな気持ちでしょうか。

にもかかわらず、最澄(比叡山延暦寺を造った人)は戒律を全廃しています。
仏教を全くの日本風にアレンジしてしまったんですね。

そして日本にとって一番の悲劇は朝鮮半島における日本の総督府による僧侶の
結婚を許したことだといいます。俗界の政治権力が僧侶の戒律を定めるなんて
いう暴挙をしでかしたのです。だから結婚した僧侶は結婚していない僧侶から
もはや坊主だとは認められていない。つまり破壊僧だとだと言われているんです。

日本の総督府の命令のおかげで朝鮮半島の仏教はめちゃくちゃにされてしまった。
日本の暴政がとやかく取り質されていますが、それよりも酷いのは仏教を壊した
ことの方が国民の恨みをより買っているということのようです。殺戮なんかは
中国やロシアもしていますが、宗教への暴挙は日本特有ですから、ここが日本への
恨みのポイントです。

ひとつの統一性を持った仏教が他国の権力に崩されてしまったわけですから、
そりゃ大変です。宗教破壊ですからね。ウチの仏教とおとなりの仏教が違うんです。

戒律に厳しいイスラム教が日本に入り難いのは、戒律を受け入れがたい「日本教」
のせいでもあるとの見方をしている人もいます。その点ではキリスト教は日本風に
変えられるから入り易かったのでしょうかね。キリスト教には戒律はありません。
ただ、踏み絵とかマリア像とか本来のキリスト教ではあり得ないことが存在した
のは、ここでも日本風にアレンジされてしまったのかもしれません。キリスト教の
神は偶像を禁止(つまり偶像は神ではない)しているのに、日本に古来からある
偶像崇拝の精神をうまく利用したものだと考えられます。

歴史の一部分を取り上げましたが、このようなことを見逃して現在だけを見てしま
うと大変危険だという事を言いたいわけです。朝鮮半島の人たちがなぜ日本に対して
批判的なのかについて、報道では見えないこともあるんです。日本の常識は世界の
非常識であることは、このようなところにも存在します。

日本流は世の中の邪道である一例を示してみました。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)


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