MOTOYANの日々題
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5月30日は「ゴミ0の日」として定着している。人間の活動が始まって以来、それに伴うゴミ(用が終わって、もう捨てられるだけの物)が出される。たいした活動をしていないうちは、その量も少ないが、社会が複雑になり、生活にゆとりができてくると、その量は、増大する。
昔は、ゴミは埋める・川に流す・燃やすことで処理ができていた。量も少ないが、ゴミの質が今とは異なる。時間が経てば(わりと少ない時間で)自然に帰っていた。酸化されなかったり、消えなかったものが、貝塚として今に残っている。
ところが、現代はゴミの量もさることながら質的に簡単に自然に帰らないものが多い。たとえば、ジュースの空き缶は、スチール缶で50年、アルミ缶なら100年でやっと土になるという。空き缶のポイ捨てが、大変なことをやっているという自覚が必要なわけだ。
出される一般ゴミのほとんどが、パッケージゴミであり、包装紙や容器など売買の時にしか用をなさないもので無用の長物である。八百屋へ買い物籠をもって行く、豆腐はどんぶりかボウルを持っていくという買い物のパターンが無くなって、スーパーやコンビニでは必ず袋に入れてくれる。サービス過剰とも思われるが、そうしないと売れないと思っているのかも知れないし、消費者でもそれを期待している向きもある。
「袋はいりません」と言うには面倒な場合があるので、袋が必要なときに「袋をください」というシステムを構築したほうが、正解だろう。
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