MOTOYANの日々題
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2002年02月07日(木) 自己主張と謙虚さ

大分で起きた強盗殺人事件の犯人は、世話をしていた留学生だった。「恩をあだで返した」行為、と報道されていた。詳しい事情はわからないが、留学生5人が犯行を計画し殺害に及んだらしい。

ニュースを見ていると殺人事件の多さには閉口する。この世で最も尊いとされる人の命を簡単に奪う行為が多すぎる。「日本は世界で一番安全な国」と以前は言われ続けて、日本人はそれにプライドを持っていた。しかし、現代は全く様子が違う。家から一歩外に出ると危険がいっぱいだ。交通事故、殺人事件など怖い世の中になったものだ。

「謙虚さの欠如」が理由の一つにあげられないだろうか?「世の中で自分が一番偉い」「自分を中心に地球が回っている」という考えは、受験生が試験に挑戦するときやスポーツや芸術活動で大舞台に立つ前に周囲が贈る「激励の言葉」であったはずだ。これを取り違えて常にそのように思い込んでいる人間が増えたことは嘆かわしい。

一歩、外に出れば周囲の人は、すべて自分の師であり、謙っての言動が要求され、なごり?として日本語に謙譲語というのがあったはずだ。日本独特の「謙譲の美徳」は生きているにもかかわらず、街行く人の言動は必ずしもそうではない。

「おたくの奥さんは料理がお上手ですね」と言われても、御主人は、「そうなんですよ。とても上手で、プロの料理人のようです」とは言わない。「お子さんはよく勉強ができますね」と言われても、お母さんは、「ありがとうございます。本当に良い子です」とは言わない。普通は謙遜して、「いいえ、まだまだ下手です」とか「もう少し勉強してくれるといいんですが、、、」とか否定的なことを言う。ところが、口ではそう言っても、心の中では逆に思っている場合もあるが、言葉に出さなければ「謙譲の美徳」となってしまう。しかし、心と言葉が近くなりすぎたのか、禁を破ってしまうと「傲慢な人だ」ということでトラブルが発生するのだろう。

受験や試合では「謙譲の美徳」を捨てていいが、日本の文化としての「謙譲」「謙虚」を捨てるには早すぎる感がある。「人に学べ、人生の先輩に学べ」を忘れてはならないだろう。


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