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漫画関連ファイル


2004年05月25日(火)
『春秋姫』について

『春秋姫』は若くして亡くなった金沢出身の漫画家、花郁悠紀子さんの作品のひとつです。日本画を描く姉妹の話。京都に住む姉の茜。金沢に住む妹の藍根。春の佐保姫、秋の竜田姫。同じものに心引かれながら対照的なふたりの短い交流と別れを描いた作品。


花郁さんが病に倒れる前に描かれた作品ですが、その後を暗示しているような内容で、ファンにとっては印象深く忘れがたい作品のひとつです。花郁さんの妹、波津さんがお姉さんと同じ漫画家の道を歩まれたこともあって、この作品に開発姉妹を重ねて見る人も多いです。(彼女達のペンネームは苗字の半分づつから音がとられています。)
少女まんがの大きな流れである、いわゆる24年組の萩尾さんと竹宮さんが一緒に住んでいる大泉に、高校生だった坂田さんと花郁さんが遊びに行き、花郁さんが萩尾さんのアシスタントをしていたというようなことも、ファンの間ではよく知られています。コンスタントに作品を発表されて、さてこれからというときに26歳の若さで花郁さんは亡くなりました。
金沢では坂田さんが白泉社の雑誌にデビューされる一方、まんが研究会『ラヴリ』の同人誌がオフセットで発行されて、当時の同人誌の中では飛びぬけて内容が充実していました。デビュー前の波津さんは、坂田さんのアシスタントをしたり、同人誌に参加したりされていました。そして時々突発的に『らっぽり』という身内で作った同人誌を発行されていました。「やおい」という言葉もそんな中から出てきたように記憶しています。いろいろな漫画家さんが参加されたらっぽり発行『兄弟仁義』の姐さんの下絵が花郁さんの絶筆になりました。

こういったことは、雑誌や同人誌や漫画情報誌からの情報なので、実際のところとは違っているかもしれません。以下は、読者としての私が思ったこと。ラヴリの頃の波津さんは、年上の仲間に囲まれて、好きなことをやっている妹さんというイメージがあります。グレープフルーツや、DUOなどに描かれていた作品も、同人誌作品の延長上にありました。お姉さんの死後、いったいいつ、波津さんがプロとしてやっていこうと思われたのか、そのあたりの事情は全然わかりません。私が漫画を読まなかった時期が10年ほどあって、気がついたら『雨柳堂』のシリーズの単行本がかなりの数になっていました。それでも、なかなか手にとることができなかった・・・・というのは花郁さんのファンからはよく聞かれる言葉です。お姉さんの作品を手伝っていらしたこともあるだろう妹さんの絵は、いろいろなところが花郁さんを思い出させるので。しかし、そういう頑なな(笑)読者も、ついに波津さんの作品を受け入れざるを得ない時がやってきます。作品の質も量も、それくらい充実しています。そういうきっかけになったのは、もしかしたら山岸さんのエッセイ漫画『蓮の糸』の一言だったかもしれません。花郁さんのエピソードに、漫画家のペンネームで波津さんが紹介されています。

なお、花郁さんと波津さんの作品リスト、発行されているコミックスについては有里さんのHPに詳細な情報があります。

(参考)ありさとの蔵
http://alisato.parfait.ne.jp/index.htm