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漫画関連ファイル


2001年12月25日(火)
清水玲子『秘密』

某MLで某S氏が絶賛されていたので、清水作品はあまり読んでいないけれど
本屋さんに買いにいきました。さて、感想をどう書こう。
見当はずれなことを書くかもしれないけれど・・・

まず、清水作品として。
秘密の二作品にでてくる、若いきれいな男の子の顔というのは
この人の作品にいつもでてくるんだろうか。どれも同じに見えてしまう。
ほとんど個性というものが感じられない。
それ以外の、いかにも脇役という人物の方が、見分けることは簡単・・・
だけど、彼らが心もとなげに描かれているのが不思議。
定番の没個性と、その場限りの個性?

意外と『秘密』は無機的じゃなかったのがほっとするところでした。
いや、初期作品もそうだったのかもしれない。
ウェットなところもあったけれど、血の通った人間の体への違和感の方が
大きかったような気がする。そこを私は受け入れることができなかったみたい。

今は、人間の体を物体として扱っている漫画作品があふれているので
そういう作品の中におくと、清水さんの『秘密』はまだ暖かいものを感じさせる。
主役の周辺にいるおもり役の男の子がポイントかな。

人間の視線をめぐる作品というのがおもしろかった。
カメラの記録と記憶の映像は違うというのがちょっと苦しいかなあ。
不満なのは、自分の仕事の内容を簡単に人に話すかなあ?という点と
大統領とか皇室というものを作品に入れた意味かな?
あとボーイズの感じが両作品にあったので、そういう人だったっけ?
と思いました。

次に、最近の作品として考えた場合。
私には、高校生の甥っ子がいて、機会があるごとに、おすすめ漫画を借りるんだけれど、
甥っ子が持ってくる少年まんがとか青年まんがには、人間の体を破壊する描写が多い。
それは解剖学的に微に入り細に入っている。昔だったら編集の規制で載らなかったような内容。
そういう作品がものすごく多いような気がする。
大塚英志原作の『サイコ』以前にもそういうものがあったんだろうか?
藤原薫の作品の中にも同質なものを感じるんだけれど。

日常の生活から注意深く遠ざけられてきた「死体」が
こんなにも漫画作品の中にあふれているのは何故?
創作の世界の中でざわざわしていたものが現実に出現したような
酒鬼薔薇の事件や、池田小の事件や、9月11日のテロと、
若い作家達の破壊衝動って、どこか関係あるんだろうか?
そんなことを思いました。