「にこにこばかりもしてられない。」
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2009年12月25日(金) 25日

【これるのか?】

朝、ヒゲくん(夫)の弟から電話。
お義父さんを連れてお葬式に行きたいと思って
(お義父さんがいくっていうからボクがつきそって)
駅に来たけどどうやっていったらいいのかがわからない。
ものすごく乗り換えていくルートを駅の切符係が言うんだよー

ん。理解した。
すべて近鉄線だけで行かそうとしてるんだよその切符係は。
とりあえず鶴橋までの切符を買って特急に乗ってね。
電車に乗ったらメールください。
乗換ルートを全部メールします。

鶴橋→天王寺→阿倍野橋→最寄駅
という路線図と乗換駅構内の絵をがががっと書いて写メする。

珍道中スタート。ガンバレ義弟。


【おみおくりする】

山のてっぺんの市営の斎場へ向かう。

ああ このお寺 夏休みのたびに写生しに連れてきてもらったなぁ
ああ このプール今年の夏に子どもたち連れて来たなぁ あの時は元気だったなぁ

向かう道で折れそうになる。
がんばれ。がんばれ。

市営の火葬場の同じ建物の中に備え付けの祭壇があって
そこを手早く葬儀屋さんが飾りつけてゆく
30分もしないうちに立派な会場が仕上がった。

棺に入って祀られているけれど
おかあちゃんはいつもと変わらずふっくらした顔をしていて
お参りする気になれない
おかあちゃん、みんな来てくれるって、と声をかけたら
もういいのにぃ、と言ってるような気もする

おじさんが着いた。母の弟だ。
秋ごろから電話に出なくなって母と心配していたのはビンゴ。
やっぱり入院して施設で暮らしていた。
おじさんの息子と娘もおじさんに付き添ってきてくれた。
このいとこたちに会うのは久しぶり。
大好きだった従兄は背中にチャックが着いて中に入ってるんでしょ本人が?というくらい
体積が数倍になっていました。

お義父さんが着いた。義弟くん、へろへろだ。
アウェイをものともしない、いつも通りの激走お義父さんにちょっと和む。
うん、生きたいように生きよ年寄り。

これでお参りの人は全部、のはずが
どこからどう回ったのか
母の短歌友だちがきてくださった。
友だちと言っても10代と20代と30代。
全員が私よりも年下だ。

棺に入れようと思って持ってきた帽子を見せて
これをよくかぶってたように思うんです、どうでした?と尋ねたら
あ、それです。それ、一番のお気に入りでしたよ。と教えていただく。
見たことのある布のペンケースだな、と思っていたら
これ、おかあさまにいただいたんですよ、とおっしゃる。
わたしも、ぼくも、と若い学生さんたちがみんななにか母の手作り品をもらってくださっていた。

短歌の批評は年齢が関係ない。肩書きももちろん関係ない。
母の作品評は撰者の先生の作品でも容赦ないかわりに
学生の歌だろうが良い部分をよろこんで取り上げる。
遠慮して言いたいことが言えない学生歌会のみなさんは
大先生をバッサリぶった切ってケロリとしている母をたいそう愛してくださっていたようだ。

母がキツイことを申し上げてたでしょう。ごめんなさいねー。
いえいえ、やさしかったですよ。
作品評を読んでいたら主催先生の歌でも容赦なくって。
いやあ、それがもう痛快で。

笑顔で語ることがいちばんよろこぶよね。


それでも、ときどき動けなくなる。
心が折れそうになるときって体がこわばるんだと知る。
棺の中のおかあちゃんに
「これ!しゃんとしなさい!あんたがここでがんばらんとどうするの!」と言われたので
ぎゃーオニめー最後までーと母娘のいつもの軽口を胸に溜めてがんばる。


これで最後のお別れです、と
棺にお気に入りの帽子と、
原稿用紙と、封筒と、鉛筆と清書用のペンと、ハンコと
23日からの新しい下書き帳と、元気に遊び歩いてる母の歌の載った歌集を一冊入れた。

また動けなくなる。ヤバイ。

大きな声をあげて泣いてしまったら きっともう立てなくなる
棺のふちを握って のどにぐりぐりをためながら 涙だけは存分にそのままほうっておいた。
きったない顔で泣いちゃったよおかあちゃん。


こじんまりと、あったかく おみおくりできました。


【おかわりする】

は。お精進落としの食事を用意しなきゃいかんのか!
と気がついたのが前日午後。

20年も離れていた地元で、使えそうな仕出し屋も割烹も心当たりがない。
のが、普通なのに。
1軒だけ心当たりがある。

斎場からの幹線道路のすぐそばで
気取らないおいしい和食で
テーブル席だから足の悪いおじさんにもラクな店。

今年の5月に高校の恩師の出版記念の食事会でお世話になった店だ。

まだケータイに番号も残っている。
無茶を承知で当日朝電話した。
12人の精進落としの食事会を1時半ごろからお願いしたいんですけれど。
おかみさん、あっさり「用意しておきます。小鉢をたくさんもりあわせたのでいいなぁ?」
と引き受けてくれた。
なんだか神がかりだなぁ〜ここまでノンストップで運ぶと。

寒い山の斎場を降りて、店に入ると貸し切りにしてくれてあって
ちょうど湯気の立った料理が並んでいた。

おなか、ぺこぺこ。
ここで食べとかなきゃ、あとがもたないゾーと自分に喝を入れて
「おねえさん、おかわりくださーい」と茶碗を上げると
ぼくも、わしも、わたしももうちょっとほしい、とお店のおひつが空になるまで親族がおかわり。
精進落としでおかわりって。

お義父さんが
「つめたーいかぱかぱに乾いたうまない寿司とかより、
こんなあったかいうまいもんがちゃんとした料理屋さんで食べられて、さすがに都会は違うのぅ〜。」と
感心しきりに味噌汁をおかわりしていたけれども
違いますから。
いくら都会でも、こんな離れ業のヒネリのきいてるお葬式はめったにおめにかかれませんから。たぶん。

義父「わしもしたいのぅ、こういうお葬式。」とわたしを眺めるけれど
あー。お義父さんの場合は、チームリーダーじゃないから、仕切るの無理だな、わたし。ザンネーン。


お店のご主人とは二度目だったけれど、自然と母のお葬式の話になりました。
急だったこと。
市営の斎場で、身内だけでお葬式を上げたこと。
お通夜もなかったこと。
兄の勘違いから、浄土宗なのに真言宗のお坊さんに引導渡してもらったこと。
まだお戒名もついてないこと。

実はこのご主人、高野山の修験僧。
「そんでええねん。充分な見送りや。ええ式ができたな。心で送れたらそれが一番やねん。」

・・・なんだか、ほんとに神がかり的なご縁に助けられて なにもかもが運んでいきます。


おかわりして、腹に力もたまったし、次だ、次。
ごちそうさまでした。


【ひろう】

80代の女性とは思えないほどご立派です。
と葬儀屋さんも、おんぼうさんもほめる立派なお骨。

おかあちゃん、あなたって、どこへ行ってもさいごまで褒められはるんやねぇ。

じゃこ、毎日食べてたもんなぁ。
骨粗鬆症検査で50代、って言われたんやもんなぁ。

箸使いのじょうずな3歳の孫も
あなたのお骨をちゃんとひろいましたよ。

あなたが38歳でわたしを産んでくれたから
わたしも39歳でこの子を産めました。

おかあちゃんが
あんたは、うまれてきただけで、もう親孝行が済んでるからね、ってよくわたしに言ってたことが
この子を授かって、とってもよくわかります。


さあ。おまたせ。
おうちに帰ろうね。おかあちゃん。


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