「にこにこばかりもしてられない。」
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2009年12月24日(木) 24日

【スゲーな母(1)】

6月から母はぜんそくで通院を毎日していた。
6月からふっつりと仕事の途絶えた兄は毎日付き添って病院通いをした。

入院がイヤだ、とか言って、わがままを言い
すっかりなにからなにまで介護をさせて
病院のとなりのスーパーで兄の食べない自分の食べたい物を買い、
自分の好きなものだけをせっせと作り、
兄に自分の食べる分は自炊を余儀なくさせた。

ニートがちな兄に6か月かけて自立特訓したのかもしれない。

母が亡くなった朝、病院の待合室で座っていたら
兄のケータイが鳴って、
6か月ぶりに仕事が入ったって。それも立て続けに2本も。


おかあちゃんからの
「もういいわ。ご苦労さん。あとははたらけ。」のメッセージとしか思えん。



【しきりなおす】

兄はお金がないという。
どんだけないのか、ほんとにないのか、ない、という。

じゃ、この立派なお葬式はどうやって払おうか?
あてはある?
う。またそんなうつろになるー。

わかった。葬儀屋さんと私が話していいね?

立派な見積もりで段取りして下さったとこ申し訳ないんですけど
わたしは、兄がこの先、困らずに暮らしていけるようにしたいんです。
お支払いを待っていただいたり、分割にしていただいたりできるでしょうけど
母の一番の気がかりも兄がひとりでもちゃんと暮らしていけることだと思うんです。

それで、わたしとりあえず出てくるときに降ろしてきた30万円があります。
祝日で駅のATMであわててこれだけしか出してこれなかったんだけど。
これでできませんかお葬式。一式。全部。

葬儀屋さんはじっと話を聞いてくれて
市営の斎場でのお葬式を提案してくれました。
枕経も通夜もなし。いきなり火葬場のとなりでお葬式。
「ボク、お坊さんのお布施、5万に値切ってきます。」
できんのかよっ(驚)

新しく作ってきてもらった見積もりは30万円でお釣りの出る金額でした。




おかあちゃん、なんかものすごいことになってしまったよ。
わたしはあれか?ちょっとオニっぽいか?


【たくさんでんわする】

通夜はない。家族だけで見送る。ということを
親戚と母の友人に電話で伝える。

町内会には組長さんに家族葬です、と伝えたら
最近はみなそれです。回覧を回しておきますね、とお悔やみいただきました。
あっさりしてるなぁ。都会は。

となりと向こう3軒にはわたしがあいさつにゆく。
母は近所が嫌いだったから怒るかなぁと思いながら
唯一の外交ルートだった娘のわたしからご近所にお伝えする。
外交ルート、約20年ぶりに回復。

午後に母の友人が住吉から訪ねてきた。
初めてうちまで来たという。
名前だけはどんなに聞いたか知らない初対面のおばあさん。
これがまたにぎやかな、母がよくしてたモノマネそっくりのしゃべりかたのひとだったので
初めて会うと思えない人で
笑って泣いて母の短歌の下書きノートを母の作った肩掛けカバンに詰め、母の編んだニットのベレー帽をかぶって
「またくるわ!」と帰って行きました。
母の笑い声が聞こえた気がしました。

夜にかけて次々と電話がかかりお悔やみを頂く。
家族だけで見送ります、と伝えたらお花を送っていただいたりもした。


母が総評を頼まれていた短歌誌の主催の先生に電話をする。
先生のあて名を書いて、原稿在中と朱書きしてある封筒が机にあったのですが
こんなことになってしまって少し発送が遅れてしまうかもしれません。
間に合わなければご迷惑をおかけしてしまいます。
おいそぎでしょうか。

先生絶句。
残念です。きのうが今年最後の歌会でした。とおっしゃる。

先生、きっと母、自由な体になってうかがってたと思います。きたかったのよ、って言って。

ちょっとだけ電話の双方で泣く。



50代からの母の青春が短歌だったから、
母の友だちは10代から90代まで
学生から学長まで幅広い。


【来た】

夕方、わたしの家族が着いた。
ほんとうならお通夜のつもりだったけれどそれがなくなったので
孫たちは葬儀ホールの安置室までおばあちゃんに会いにゆく。

そのあとホールの向かいのスーパー銭湯。


おかあちゃん。
通夜なし、スーパー銭湯ありだよ。
どんだけ奇想天外やねん。


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