| 恥ずかしかったこと |
高校生の時(太古の昔だね) 世界史の授業を一番前の席で受けていた時。 先生が「小さな小銭」といったのがおかしくて、つい吹き出してしまった。 瞬時に先生から「何?小さな小銭がおかしかった?」とツッコミが。 昼食後のけだるい教室は、その一言で一気に笑いの渦に落ちた。
私自身が何か間違ったわけではないし 私自身が友人に笑われたわけでもない。 それなのに、耳まで真っ赤になるほど恥ずかしくて ○○年を経た今に至るも、忘れられないでいる。
何故こんな事を思い出したかというと 部屋中に放り出してあるプリントを整理していたら 会議の資料の裏に殆ど寝ていると思われる蛇行した筆跡で 「今年は惜しくも大敗」と書いてあるのを見つけたからだ。 「惜負」なら惜しいかもしれないが、「大敗」では惜しくないだろう(笑) 「残念ながら大敗を喫した」とでも言っていただきたい。 誰の発言だったのか、今となっては定かでない。
こういう、ちょっとした「おかしな日本語」を 私たちはよく使ってしまう。 「一番最初」最も始めなら一番に決まっている。 「朝の朝礼」基本的に朝礼は朝だろう。 「前向きに検討」何もするつもりはないってか。 おっと。最後のはちと違うか。
重箱の隅をつつくようだと言われるとたしかにその通りかもしれないが 気になる物は気になるので、仕方がない。 だからといって私の日本語が正確無比でないことは この日記を読んでくださっている皆さんは とっくの昔にご存じのことだ。
最近とても気になるのは「全然〜ない」の使い方が 甚だしく崩れていると思われることだ。 「全然」に肯定文がついてしまう。どうしても違和感がある。 自分で書いていて気になることもある。 「〜たり」は繰り返す筈の言葉だ。 つまり、「〜たり、〜たり」と二つ以上の例を引く場合に使う、 のだと記憶しているのだが。 どうもきちんと使えていない。書いていても気持ちが悪い。 「使い方が間違っているぞ」と思いつつ書いているからだ。 でも、「それではどう書き直せばいいのか」で躓いて 結局目をつぶってしまう自分が情けない。
言葉は移り変わるものだから、「昔はよかった」とか 「今の言葉はおかしい」とか力説するつもりはないが でも自分が厭なものは厭なので、これは譲れない。 末娘は「ら抜き言葉」をたまに使うのだが、これが厭。 娘が使いたいのと同様、私は聞きたくない。 どちらを優先するかといえば「年功序列」で私に優先権がある(笑) 従って「母の前では使うな」と厳命している。
「クソばばぁ!!」と心の中で思っても親の前で口に出すことは絶対許さないぞ! と息子達に明言してあるのと同じ事だろう。 「言うな」といって止められる種類のことではないし、 だからといってひきつる笑顔で受け止める気も毛頭ない。 母の権力はまだ手放すつもりはないぞ。 いずれ子供達が大人になって私を乗り越えるまでは ぎりぎりの線まで君臨(苦笑)するつもりだ。 せめて乗り越え甲斐のある親で居たいものだと思っている。
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2001年11月18日(日)
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