私季彩々
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2004年06月12日(土)

 宗教に対しては、実は結構感心がある。

 日本人らしく、無宗教である。線香を寝せるか立てるかの違いで浄土宗なのか浄土真宗なのかを区別する程度である。その区別が本当かも知らない。
 家には「矢」があった。アイヌの神事で用いるものらしいが、それの方がよっぽど意味ありげに思えた。
 9.11以後、世界がわかりにくい見えにくい小さな点をテロと呼び戦争を仕掛けるようになった。それを時に宗教戦争だと呼んでみたりするようだが、そもそも戦争と宗教が結びつくものなのだろうかと思ってみたりする。
 太陽にしろ、神様にしろ、1つにしろたくさんにしろ、敬うべき存在というのは確かに存在する。日々、感謝を捧げる対象を私は欲しい。恍惚に震える衆の中よりも、私は静寂と無言の中にそれがあって欲しいと願う。

 曹洞宗の宮崎住職の特集がNHKであった。「禅」。あるべき姿。物の形。人の形。住職は只それを追い求めているが、決して俗世間から乖離しているわけではない。
 「べき」という言葉。義務を現すようで私は嫌いだが、本来の意味はそうではないのかもしれない。自然であるということ。そこから人は乖離していく。変わらないのは生死の営みくらいである。いや、「くらい」ではない。それが全てなのに、私はその程度にしか思っていない。
 座禅というわけにはいかないが、横になっているときも、椅子に座っている時も、奥底に高みに真中にある考えている暇も無いほど大切な何か、それに還ること。そういう人たちのなんと厳しく寛容なことか。

 囚われの身でありつづける私に、その糸のありがたみを教えてくれるもの。ただ座るだけで近づけるなら、その道に興味がある。もちろん、「ただ」という言葉の重みを承知した上で、その静寂を承知したうえで。 Home&Photo


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