私季彩々
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2003年04月11日(金) 拝啓N音様

 言葉を真摯に扱うというのは本当に難しいことです。

 コーランはムハンマドが語った言葉のみを指すもので、翻訳したものはコーランとは呼べないとのこと。神の言葉が預言者にわたり、人にわたり、翻訳され、それがどこまで真実かは私にはわかりません。

 遠くの戦争と、そこから流れる映像と、編集され、断片となったもの達から感じる自分の想い。全てを共有しているわけでもない、行間を読もうとする想いと思い上がりなのではという苦悩。見渡す目が広くなって世界が小さくなりすぎても、自ら及ぼせるものが小さすぎることに戸惑ってしまいます。目と脳だけ生き延びて、体を失ったものを永遠の命と呼ぶならば、テレビで眺めている私達はそのようなものなのでしょうか。

 結局のところ、自ら動き、手を伸ばせるところで幸せを掴むのが生き物なのではないかと想ったりします。私達はまだ、その目に見合う手や足を持っていない。頭も共有できていない。
けれど、それを持つ第一段階がテレビであり、ネットワークであり、究極的には言葉なのでしょう。決して退化しているとは想いません。

 N音様。どこかで綴られる時には、その足がかりを残してくださいね。なくても見つけますけれど。ほほ。 Home&Photo


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