私季彩々
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2002年08月29日(木) 未熟な講師こそ

 土曜日提出のテスト問題を作成中。これが以外に手間取る。さらりと流すつもりが全然進まない。そんなに熱意は無いつもりなのですが、実はあったりするのかも知れません。

 学生さんの一人がテストがあると焦っていましたが、焦るほども無いと思っている講師がいるのは以外かもしれません。専門学校のテストは結構いいかげんです。資格に直結するならば話は別なのでしょうが。半分寝ていた生徒さんにそこそこ努力すれば解ける問題を作るというのは、意外と骨が折れることがわかってきたのかもしれません。

 私の試験は、他の人間とのコミニュケーションをとる行為を禁止しています。つまりはこれ以外は何でもありで、持ち込み可。携帯電話、パソコン、計算機、何でも持ってきてくれというものです。持ってきたところでたいした役には立たないのですが、それでも携帯電話のメモリーにいろいろ入れてきた女の子がいたりして面白いものです。彼女はぎりぎりで通してあげたなぁ。

 テストなどというのはきっかけのひとつに過ぎないわけで、後で調べることができる引っ掛かりが出来てくれればいいと思っています。これから膨大な知識が積み上げられる中、基礎の基礎は確かに大事なわけで、そこを押えつつ、次に進んで欲しい。

 大学の教養は正直つまらなかった。特に必修の英語やドイツ語はてんで駄目。そんななか、ドイツ語の講師が言った言葉だけが、西の窓から差し込む光とともに思い出す。
 「何が必要で何が不必要かを決めるのは君達では無理だ。私もできない。常にそこから始められたら謙虚になれる」というようなことを言っていたように思える。
 あの貴重な時代、私は有意義に使えなかったと後悔している。図書館に入っても何を読んでいいかわからず、演習林に行っても興味がわかず、結局単位だけを集めて卒業してしまった。あの時代に立ち止まらずして、いつ立ち止まるのだろうかと今になって思ってしまう。
 少なくとも高校を卒業すれば、授業は一線と変わらなくなる。講師は常に学ばないといけない。それが何となく高校の延長で出来てしまうとすれば、両者に緊張関係がなくなってしまったということだろう。大学も専門学校も、そのあたりが問題なのだろう。確かに学ぶべき知識は飛躍的に増えている。

 日本は学校を終えると大人が学ばなくなる社会だと良く聞きます。でもそれは大きく変わってきているように思えます。ただ一歩必要なのは、教わる熱意が強すぎてしまう大人が多いこと。Give&Takeが大事なのに。大人になったら、教わる側も教える側もコインの裏表で、場面によって入れ替わります。人に何も教えるようなことは無いという人がまだまだ多いようです。けれど、そんなことは絶対にありません。

 人に何かを教えるというのは、自分の未熟さと対峙することだと思います。それがわかっただけで、この仕事をして良かったとつくづく思います。 Home&Photo


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