私季彩々
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2002年03月21日(木) 誰といても淡々と食む人型の吾は暖かな皿を知らない

 一日中強い風がふいていた。雨音も混じってはいたが、春一番と言っていいのかもしれない。ベランダに放ってある発泡スチロールの大きな箱が大きな音を立てて転がっていた。壁を越えて飛んで行かないかと心配だったが、何となく億劫で、音だけを聴きながら確認もせずに眠りこけていた。
 窓をあけると猫が外に出て行ってしまう。そのめんどくささもたたって、春眠に延長を重ねてしまった。

 一切れ58円の鮭の切り身が3枚残っていた。豆腐が半丁。それともやしの残りで味噌汁を作った。いつも目玉焼きでは芸が無いので卵焼きにした。何でも醤油をかけてしまう私だが、今日はケチャップをかけている。新鮮なお味。なかなか減らないキャベツを何とかしようとも思ったが、肉と炒める以外思いつかなかったので、またの機会と思いつつ、結構長くいらっしゃるような。

 一人で暮らして長くなるが、割と自炊はきちんとしている。レパートリーは少ないが、何か作るとなると、そこそこのものが作れるほうだと思う。そんなやもめ暮らしの男が集った折に、料理とか洗濯とかが出来ない人が多いのに驚くという話をしていた。彼いわく、それが平均であって、我々はできるほうだというのだ。果たしてそんなものだろうか。

 作っている時間も短いが、食べる時間はもっと短いのが一人暮らしの寂しいところだろう。けれど実はそんなに嫌いではないように思える。料理を作るのは大好きだし、食べてもらうのも楽しみなのだが、誰かと食事をともにするというのは苦手だったりする。もちろん楽しい事も多いのだけれど、食事という「間」が一旦沈むと、それに耐えられなくなってしまう。

 食事というのは、わいわいやるほど楽しいというのが世の常だが、私はあまりそう感じないことも多い。特に長く付き合った人との場合は顕著だ。家族との食事はどことなく居心地が悪かった。恋人と料理を作るのはとても楽しかったが、食事の時間はそれほどでもないことも多かった。あとで、「私は料理を一緒に作るのあまり好きではないのよね」といわれた時は、食事を楽しむ事の出来ない私の欠陥を指摘されたようで、とても悲しかった

 そんな私だが、憧れるのは喫茶店や軽食屋のような、くつろげるお店を持って食事を出すことだったりする。全く違う路線だが、今まで心の底に沈めていたように思えることだったりする。けれど、私は心底食事を楽しんだ事は無い。そんな私がこんな事を夢見るのは、無いものねだりなのかもしれない。

 暖かな食事というのは、人にとって最も自然な幸せの形だろう。そんな単純なことを今だに求めている私は、きっと何かを置き忘れたに違いない。ずっと先になるかもしれないけれど、そんな食事が出来た時に、私はそれまでの年月分をゆっくりと噛み締めて、少し泣くかもしれません。
 お店を出すのはそれからの事でしょう。もちろんお金もないけれど。


 誰といても淡々と食む人型の吾は暖かな皿を知らない

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