私季彩々
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私は猫好きで通しているのだが、本当はどうなのだろうかとも思う。 小さい頃から動物アレルギーだった私は飼っていた小鳥も手放して動物とは縁のない生活をしていた。そんななか、一番好きなテレビ番組が”ムツゴロウと愉快な仲間たち”なのだから反動といえなくもない。
気がつけば大学も獣医学科なのだから、さぞかし動物と戯れた事と思いきや、実際はそんなこともなかった。研究大学ということで、試験管は握れど動物と触れ合う機会はそんなに多くなかったし、研究もそこそこ面白くあっという間に卒業となった。 そんな大学の最中に出会った猫はデブ猫だった。クリスマス近くの雪深い季節に凍えていた猫だ。恋人との関係が冷え切った頃であったこともあったし、獣医学生でありながら動物と縁のないのもいかがなものかという思いも重なって、一緒に暮らすこととなった。その猫は実家でさらに丸々と太っている。
で、それから数年たって、年をとってさらに寂しくなったのかまた猫を飼いたいなと思うようになった。引越しは念のためペット可のところを選んだ。 でありながら、それで満足してほったらかしにして数ヶ月。朝の4時頃帰ると人懐っこい猫が一匹。道端の人懐こい猫というのは本当に可愛いもので、寒空の下アスファルトに座り込んで抱っこしてみる。通り過ぎるタクシーは夜にはありふれた光景だよ、とでもいうようにあまり関心もない。 翌日も同じ時間に歩いたがどこにもいなかった。で、その翌日も早く目が覚めてなんとなく散歩に出かけた。うっすらと夜が明ける中、前から鳴き声をあげて駆けてくる猫が一匹。
というわけで、その猫は今私の膝の上にいるわけで。汚れた毛にも白さが戻ってきた。数か月齢というところだろうか。この近所は路地裏で猫には不自由しない所。野良である事は間違いないけれど。
一応獣医でもあるし、癌や腫瘍ばかり覗いているよりもいいだろう。そういえば野鳥の獣医もやってみないかという話もある。ただの資格のみのペーパー獣医とはいえ、ボランティアなら参加できるかもしれない。
思えば獣医とはほとんど関係のないことをしつづけて長くなっている。流されるまま、他の流れに乗ることもできず、探す事もせずに数年が過ぎた。気がつけば川の流れは狭く急になってきて、本当に能力と適正のある人々しか生きられない流域まで上ってきてしまった。お金にも時間にも恵まれない研究職とはやはり好きでなくてはできない。それも半端ではなく熱愛でなくては。他に好きな人がいないから付き合っているの、などというわけには行かないのだ。
行き場もわからず、かといってこのまま行く事も潔しと出来ない私はフラフラといろんな仕事を抱え込んで貧乏を続けている。そんななか、もしかしたらこの道が自分にとって大きな存在になるのでは、と思えているのが”森の師匠”との出会いである。それは、研究以外に知ることの出来なかった私に、子供の頃の懐かしい記憶を蘇らせてくれるものだったのです。一日の全てを何かに費やすような生活しか知らない私にとって、もっと楽に楽しく多彩に暮らせるような、そんなやり方を教えてくれそうな。普通の人ならそれが普通なのでしょうが、私にとっては全く新鮮なものでした。何故かですます口調。
猫を抱きつつ良くわからない事を。少し素直になっているのでしょうか。書初めで”素直”と書いてしまうほど素直さを熱望しているこの私が。だとすれば、猫というのは私にとって大きな存在という事にもなります。
”とんと”というのは私の愛する映画に出てくる猫の名前だったりするのです。
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