私季彩々
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パスワードに電話番号。登録番号に暗証番号。世の中何かと自分を証明する番号が要求される。インターネットの世界も暗証だらけ。全て記憶させてしまっているから一度とんでしまうともうわからなくなってしまう。本来はいちいち打ち込むべきなのだろうけれど、それこそめんどくさいし覚えていられないほどだ。 ということで私の場合は限られたパスワードに統一しているが一度悪用されると全部アウトという可能性もある。まぁ仕方のないところか。それでも個人コードはそれぞれ別だからそこまで覚えていろというのは酷な話だ。
電話番号などは長くて面倒な話だ。が、今は携帯の時代だから番号などは初めの一回きりの話。その一回すらないかもしれない。恋人の電話番号すら記憶に留める事のない時代だ。携帯のメモリーがすっ飛べば何の手がかりもなくなってしまう。 友人に親との連絡は携帯だけという人がいた。住所が変わっても特別連絡をしない。携帯なら変更はないわけだ。便利といえば便利。GPSに対応して居場所がわかるなんて時代も近いのだろう。
人が記号化されてその記号すら見えなくなる時代。自分を守る記号達すら面倒に事欠いて埋もれさせている。気がつけば便利さだけが残るけれど見えないところで何がおきているかはわからなくなっている。 かけた電話は相手に筒抜けになっていていつ誰がかけたか全てばればれ。インターネットで誰がこのページを見ているのか調べればすぐにわかる(私は知りたくもないのでしていない)。クレジットカードは落としてしまえば誰にでも使える。キャッシュカードの暗証番号はどれがどれだか忘れて間違っているうちにカードが使用不能になってしまう。
”私が使ってるのよ! 私よ私! 文句があるっての?” などといっても、近所のおばちゃんにつけを頼んでいるわけではない。
”誰が私をヴォルグであると証明できる?”
親もいない。家族もいない。そんななか私が私であるといったい誰が証明できるだろう。番号が証明できるのはただの情報に過ぎない。しかしながら私達はその情報の上で実生活のほとんどを行っているのかもしれない。顔を見るよりも証明書を見ていること、暗証番号の認証通過を確認しているだけの事がいかに多いことか。すでに顔なんてどうだっていい。
”私には名前がなかった” その呪縛のなんと深い事か。けれどそれは愛しいものでもある。
携帯にでる名前が愛しい人のものだったらうれしいもの。でも機械を信用せずに番号も覚えておこう。そうすれば携帯がなくても連絡をとれる。まぁそんなものも忘れて会いにいってしまえばいいのでしょうけれど。
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