私季彩々
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| 2001年09月12日(水) |
彩りを競いし森の精達も溜め息もらす青き実りよ |
森は秋の気配を見せて黄色みがかってきた。虫も少なくなってきて多少歩きやすい。花はアケボノソウやアケボノスミレくらい。けれどアケボノソウは美しい。 まぁ単調といえば単調だがそこかしこに隠れた実りの秋がある。名は忘れたが木の枝に見事な青の実をみつけた。双眼鏡で見ると空の青を濃縮して空気中の水分を薄くまとったような絶妙な色合いだ。そんなものを見つけられるのも師匠がいてこそなのだけど。
”色の表現ってのは外国語のほうがしっくり来るのはなぜなのかなぁ” と師匠のお言葉。
日本語の色というものはどことなく具体例に直結する。桃の桃色、葉の緑、海の青、火の赤。山吹色に紅色。日本人の感性の豊かさを表しているようだけど、その束縛から離れてみたい色に出会ったときに自分の表現力のなさに哀しくなってしまう時がある。 で、エメラルドグリーンとか・・・・。とにかくカタカナの色の言葉の豊富さにはあきれ返ってしまう。誰がつけたのだろう。油絵や水彩の絵の具売り場の前に立つとその数に圧倒されてしまう。ぴったり来る色に会えたりすると本当にうれしいものだ。その色に名前があるということに驚いてしまう。多分由来はあるのだろうけれど私にはわからないから難なく受け入れてしまう。なんて素直。
初めて手にした8色の絵の具セット。ほんとは12色セットが欲しかった。でも赤青黄があれば全ての色が作れるはず。だけどなかなか難しい。混ぜれば混ぜるほど明るさは落ちる。全部混ぜれば真っ黒だ。そう考えると白という色は独立した系ということになる。 でも私達が見るのは光の反射。光は赤緑青からなる。全部混ぜると透明だ。絵画の世界と写真の世界は似て全く異なるアプローチという事になる。
今ある青を心に留めたい。それを伝えたいとなると既存の単語は邪魔になる。”百聞は一見に如かず”とはいえ名聞を作り出す事は人の技である。言葉であっても絵であっても、時には音楽であったとしても。
彩りを競いし森の精達も溜め息もらす青き実りよ
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