私季彩々
DiaryINDEX|past|will
| 2001年08月15日(水) |
戦中生まれの父から想起する私 |
終戦記念日とのこと。小泉首相が生まれたときは3歳だという。思うと私の父が生まれたときは戦時中だったことになる。そのなかで育ち今日まで来てようやく定年。正直言って地味かつ堅実に暮らしてきた父を見てると戦争を背景に生きてきたなどとはとても思えない。幼年期だから実際はほとんど影を落としていないのかもしれないが、日本の地方で発展の恩恵を受けつつ豊かに暮らしてきたということだろう。
私の田舎は道南の小さな街だ。公務員の父は安月給ながらも地方としては貧しくもなく堅実だった。まだ家もまばらな場所に家を立てて庭を大事にしていた。趣味は庭いじりと釣り。近所づきあいはあったけれど酔っ払って帰ってくるとかゴルフや何かで家を開ける事もなかった。子供に過干渉することもなかったが冒険はしないで地に足をつけて欲しいと願っていたようだ。振り返ると父がどのような人生を送ってきたのかよくわからない。
私は働き出して単調な毎日の中にやりがいを見出せずにたじろいだ。満たされたこの時代に更なる満足をどうしたら得られるのかがわからなかった。恋愛や結婚といった普遍的な人間性に寄りかかることができず両立できないと決め付けて他の何かを求めていいかわからずに彷徨った事もある。今もその続きだけれど。 父の堅実そのものの人生はどうだったのだろう。まぁ波風立たない家庭を築いて仕事は順調。端から見たら申し分ないかもしれないが何か物足りない気がする。こういう場合、子供が孫でも連れて帰ってくれば一番いい親孝行になるのはわかっているが2人の子供は独身でふらふらしていたりする。それも何か物憂げに。
”子供は子供の人生なんだからあとは好きにおやんなさい。あとは私の人生好きにやるさ”などといってくれればいいのだけれど親である以上そうはいかないだろう。でも何か個人としてできることがあってもいいのではと思ってしまう。父母である前に一人の人間としての何か。それは責任転嫁なのだろうか。 私はそれを前にして苦しんでいるところがある。家庭をもって子供を育てることが大きな幸福感をもたらすものである事は承知しているつもりだ。二者択一ではないのだから愛しければそのままくっついていけばいい。そのことは最近になってようやく認められるようになってきた。それから先はなんとでもなるだろう。
でも父はどうなのだろう。自分のふがいなさや親不孝を棚に上げていうのもなんなのだがいくつになっても幸せの形に寄り添っていたいものだ。それが私達子供だけだったとしたらとても苦しい。
戦争の苦しさには遠く及ばないけれど豊かさの中で生き方を探す事の苦しさ。苦しいことは今現実にある苦しさであって個人にとって大きいも小さいもない。私にとっての8月15日は親不孝と私のふがいなさに向き合う日となった。
Home&Photo
|