私季彩々
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”夢は夢の時だけで現実に帰らないといけない。じゃあ、夢が途切れずに続くとしたらそれは現実と何が違うというの?”
起きるのが億劫な朝、さわやかな日の光は他人事のように色褪せていることがある。ま、そんな時は今日にちょっとした難題や、嫌な雰囲気がまとわりつくことがわかっている日。素敵な夢の時間に舞い戻りたくなってしまう。 でも、まてよ。夢ってそんなに楽しいものばかり見てたっけ? 爽やかな森の中を恋人と歩く私、ニルスのように雁に乗って空をかける私、南国の白砂の海岸に海に揺らぐ月光の柱をグラスに映す私・・・etc..って、そんな夢なんざ見た事ない。どうやら私には、夜見る夢から生きる力を取り戻すなんて芸当よりも、こうやって心落ち着く情景を思い浮かべる夢の形の方があっているのかもしれない。
街を歩けば木漏れ日の明るさに気づき、川面に揺らめく光も同じだってことを思い起こす。爽やかな小鳥達の声に安らぐ自分に満足すれば、カラスのだみ声まで微笑ましくなってしまう。河川敷を通るおばさんの挨拶がとてもうれしかったり。ちょっとした時のかけらが幸せに満ちたものならば、人は簡単に優しくなれるように思う。 そんなやわらかいかけらは人の日常の上に優しく降り積もり、日々の暮らしに柔らかな木陰をつくる。照りつける夏や吹雪く冬に逃げ込んだり休んでみたり。交差する人に安らげる雰囲気を味わってもらったり、優しくなってもらったり。そんな人から新しい苗木をわけてもらうこともあるだろうし。 素敵な顔を持つ人は、やわらかな森を歩いているのだろうな。様々な涙を豊な枝葉に変えて旅人を和ませてあげられるのでしょう。
夢は途切れるもの。夢は素敵な欠片たち。まぼろしの時間はそのままの幸福な光たち。そういう木々たちを育んで緩やかな丘を登っていく。 最期に振り返って自分の森を眺める時に照れくさそうに顔をほころばせたら素敵。 心配は要らないね。そのとき振り返る事を忘れなければ、必ず鳥達を枝に休ませた大樹がみえるはず。どんな人生であったとしても。
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