私季彩々
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2001年04月29日(日) 日記とはみられるもの?

 中学生の頃ちょこっと日記をつけた。ほんの数行だけど。あの頃はいろいろあったから書いている内容はけっこう暗かったように思える。家を出てからも持っては来ているけど一度も開いたことがない。多分一生見ることはないと思うけど捨てられないのが日記の不思議なところ。死んだ後に見られるのも嫌なのに生きてる間なんてもっての外、だというのに捨てられない。
 お気楽なことや無茶苦茶沈んだことを書いてみたり、めろめろな事をのたまってみたり。寝る前のわずかな時間に蛍光灯の明かりだけをつけて鉛筆を走らせている姿はなかなか絵になる感じ。

 見られない、見せたくないものを残すというのは変な話だ。私の場合は読み返した事もないから全く意味がない。あくまでも書いているその時が大事だった。
 けれど、見られる事を意識していないかというと嘘になる。机に置き忘れた事を思い出した学校ではらはらしたり、何故かかばんに入っていたり。
 じゃあ、書いてるときはというと、どこかで見られる事を考えているように思える。心のどこかでかっこつけてみたり。自分の知らない誰かにだったらどこかの陰から読んでるところを覗き見てみたいような。そんなだったから結局長続きしなかったのかもしれない。

 書くというのは記録に残す事。残るものを自分のものだけに留めるのは難しい。何かでもれるかもしれないし、見せたいという欲求が出る事もある。インターネットに溢れる日記はそんな人には本当に画期的なものなのだろう。
 もちろんそんなものばかりではない。そんな縛りから抜け出した言葉達には必然的に力が備わっている。書くというよりも描くというイメージ。そんな言葉達を描きたいと思っているけど、そう思っている時点ですでに縛られている。
 ま、それはそれで普通でいいとは思ってるのだけどね。そんなところにも素敵な言葉達はやっぱりいるし。

 今は久々に言葉を紡ぐのが楽しいってことで。”のほほん”の境地の入り口だといいな、と思ったりしてます。

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