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蕎麦とは繊細なる物也・・・ - 2006年01月22日(日)

今日はとある方の蕎麦を食いにお江戸日本橋まで出掛けてきた。氏の蕎麦を食べるのは今回が初めてであるが、過度なる期待をし過ぎていたのであろうか、正直なところ驚くほどの感動とかはなかった。もりを2枚食べたのだが、1枚目と2枚目であまりにも違い過ぎる品質に驚いたのである。まあ、延しと包丁は氏がやっていたが、水廻しは弟子がやり、茹でも当然の如く弟子がやっている。蕎麦とはこれらの工程がひとつにまとまって完成形となるものであると思っている。ひょっとして延しと包丁も時には弟子がやっているのかもしれない。

丁度その切れ間に2枚食べたのでこんなにも違っていたのかもしれないが、一枚目の蕎麦を一口食べて率直なる感想は「ん?冗談でしょう・・・?」というものであった。それ程酷い(並みの蕎麦という意味である)とは思わなかったので驚いてしまった。これを美味いと思っている人ってどういう味覚なの?と不思議な気分になったが、流石に2枚目はそれなりにまともな蕎麦として胃袋に消えていった。

これほど違うもの出されたら通常だったら怒ってしまう人もいるであろうくらい別の次元の蕎麦。当然氏が全ての工程をやったわけではないし、まあこういう場所だから興行的な要素が高く、通常出しているものとはレベルが違うのかもしれない。それと氏の心の中がどうなのか・・・?ということも気になった。本当に美味い蕎麦を大勢の人に食わせたいと思って打ったのか、興行的商売として割り切って打ったものなのかは定かではないが、氏ほどのレベルの人だって打った蕎麦には心が映し出されるほど繊細なる物と思っている。蕎麦打ち職人を志した時の気持ちや思いが、今どれ程氏の心の中に残っているのだろうか・・・?ちょっと興行的な方向に走り過ぎているようにも思えるのだが、それは氏の考え方でもあるだろうけど、氏を利用する周りがそうさせているのではとも思えるのだが・・・。

でも一枚目の蕎麦はあきらかに茹で過ぎだし、何処でも食えるレベルのものであったのは残念至極である。


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