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食事と嗜好品の違い - 2004年05月31日(月)

いつから蕎麦は嗜好品になってしまったのか?まあ、お店の考えとして嗜好品的なスタイルで営業しているところは存在しているし業態として成り立っている訳だからとやかく言う心算はない。しかし、何処のお店にまでも嗜好品的なものを求めている客がいるのは理解出来ないし、老舗以外の機械打ちも否定し手打ち崇拝者的な人達がいるみたいだけど、蕎麦ってそういう食べ方してもつまらないんじゃないかなって不思議に思うだけである。

食事としての蕎麦。食事をするための蕎麦屋。これが原点であると思うし、手掛けるお店もそういうコンセプトであるものが多い。だから蕎麦だけをどうこう言われても余計なお世話だ!と思うし、そう思っている経営者も多い。機械打ちであるけど大繁盛しているお店は沢山ある。それを蕎麦屋と思わない人もいることだろうね。人それぞれだから仕方がないよね。それを嫌だと思う人は他に行って頂ければいいのではと思う。

また不思議なのは禁煙を店側に強要するのも理解出来ない。確かに禁煙者にとっては不快感極まりない空間に感じることであろうが、喫煙者だって大切なお客様である。喫煙可のお店は喫煙者を受け入れるという考え方で営業している訳だからそれに対してどうこう言うのはおかしいのではなかろうか?私はタバコは吸わないが喫煙を許しているお店に嫌悪感も感じないし強要もしない。嫌なら行かなければ良いことであって、それは経営者が経営戦略を考えた上でのスタイルである訳だからそれに従うのが筋だと思っている。

こういう風潮は蕎麦が高貴な食べ物に祀り上げられてしまった悪しき風習であるのか?立ち喰いだって、機械打ちだって、なんちゃって手打ちだって、まともな手打ちだってみんな「そば」「ソバ」「蕎麦」なんだよね。でも、それらは皆コンセプトが異なる。客として求めるものも違うし、客に対して訴え掛けるものも違う。だから皆同じものを求めるということは絶対に無理であるとも思う。

まあ、それぞれ自分が気に入った店に行けば良いんじゃないのかな?自分の価値観や考えと合わないからと言って店側に改善を求めるのはどうなのかな?だって経営者じゃないんだからさ・・・。誰だって気に入らない店はあるだろうし、禁煙に限らず蕎麦や汁の品質や味などをこうした方が良いとか、俺ならこうする!とか、それを自分の色に染めようとしたりすることはどうなのかな?

例えば店側からアドバイスを求められたのなら思っていることを言えば良いだろうけど、そうでもないのにどうこう言うのはちょっと理解出来ないな。ましてやネット上では実名を上げられてああだこうだ書かれている訳だからね。


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