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思わぬ再会 - 2004年02月11日(水)

思わぬ再会をした。

今日、中学校の同級生で東京で働いている友人達とボーリングをしたのだが、その面子の中で思わぬ顔があった。中学校の同級生がたまたま彼と知り合いで、今回の面子に加わっていたのだ。彼は小・中・高・大と僕と同じ学校ではないのだが、過去にある接点がありお互い顔見知りだった。しかし、こんな偶然あるんだなという具合の再会だった。

彼との出会いは小学校6年の時。僕は水沢サッカー少年団、彼は高花平サッカー少年団というサッカーチームに所属していた。お互い三重の四日市市内にあるチームで、四日市選抜チームの一員として僕と彼は初めて顔を合わせた。しかし、四日市選抜にはAチーム(一軍)とBチーム(二軍)があり、交流はほとんどなかった。彼は小学校の時から抜群にうまく、Aチームのストライカーとして活躍。全日本少年サッカー大会で四日市選抜が4位になった時の原動力となった(ちなみに僕のいたBチームは全国大会の会場にすら連れて行ってもらえなかった)。

中学では練習試合などでたまに顔を合わせたが、一度も話をする機会がなかった。彼は中学でも三重選抜などで活躍し、僕とは比べ物にならないほどの実績を残していった。中学卒業時に当然のように四日市中央工業や暁学園などのサッカー強豪校から誘いを受けたが、彼はそれを蹴って、サッカー部に力を入れつつあった四郷高校に進学。しかし、高校2年の時、彼を「ぜひ四郷に来てくれ」と熱心に誘ってくれた監督が辞め、そこから彼のサッカーに対する情熱が冷めていく。

3年のキャプテンとして臨んだ冬の選手権県大会は3回戦で敗退。彼はこれでスパイクを脱ぐつもりだった。自分なりに実力の限界を悟ったのだという。

そんな彼の前に、松坂大学サッカー部の城雄士監督が動いた。城監督といえば、第70回全国高校サッカー選手権大会で小倉擁する四中工を全国制覇に導いた名将である。その城監督がサッカーを辞めようとしていた彼の自宅を訪ね、熱心に松坂大入学を勧めた。一度は断るものの、後日また城監督は彼の自宅を訪ねる。彼は城監督のその誠意と熱意についに折れた。彼自身は自分なりに実力の限界を悟っていたが、県内のサッカー関係者は皆、彼の才能の高さを認めていた。城監督は、その才能に惚れていた。

松坂大は全国的には無名だが、東海地区では結構なサッカー強豪校。最近では天皇杯にも出場している。しかし、彼は大学2年の時、サッカー部を辞め、大学も辞めてしまう。僕は、彼に辞めた理由を聞きたかったが、さすがにそれはできなかった。

彼のサッカーセンスには、間違いなく非凡なものがあった。僕と同年代で、彼と同じ四日市選抜のAチームで活躍した選手が今年J2のサガン鳥栖に入団するのだが、その選手より彼の方が数倍実力があった。その選手は四中工、福岡大と進んだのだが、彼も四郷より四中工に進んでいれば・・・と思ってしまう。そんな事、もちろん彼の前では言えないが。「プロに行きたかったんだけどな〜」と半笑いで言った彼に対して、僕は返す言葉が見つからなかった。

彼は今、東京で働いており、サッカーとは無縁の生活を送っている。

小・中とサッカーでは負けっぱなしだった僕は、ボーリングでは彼に勝った。帰り際、彼と連絡先の交換をした。

彼の表情から、今の生活に物足りない様子が窺えたのは、気のせいだろうか。




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