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2025年04月22日(火)
少し…いや、かなり懐かしい話。 昔、バブル時代の頃に船橋に建てられたザウスのインパクトはすごかった。 CMソングは山下達郎の「湾岸スキーヤー」(後に少年隊がカバー)だったが、 当時を知らない人には意味不明なタイトルの歌に思えるだろうね。 SSAWS(Spring Summer Autumn Winter in Snow) でザウスだった。 夏場の料金は高いが、冬は割引で滑れたっけ。 ゲレンデをそのまま巨大冷凍庫に入れたような設備で、 中にはちゃんとしたリフトもあった。
1993年7月に「ららぽーとスキードームSSAWS」として 様々な場所にもあって流行っていた巨大迷路の跡地に開業。 当時は世界最大かつ史上最大の屋内スキー場であり、その大きさは 高低差が設備としては100メートル。ゲレンデとしては約80メートル、 長さが設備としては500メートル。ゲレンデとしては約480メートル、 幅が約100メートルというものであり、コースは下半分が初級者用で、 上部スロープに向かって左側が中級者用イエローコース、 右側が上級者用レッドコースにそれぞれ分かれたものになっていた。 ちなみに当初は入場料+2時間滑走料金で5900円であったが、 後に5400円に改定された。 その後、スノーボードとスキーの滑り分けのために滑走可能時間を 午前、午後と分けた際に両方の機材を持参した場合のみ、1日5400円で 1日中滑走が可能となっていた。
当時、ザウスは三井不動産により最低でも10年は営業するビッグビジネスとして 開業したが、それを待たず2002年9月末、僅か9年でクローズ。 しばらくは、そのまま放置されていたが2004年に解体が終わり、 跡地にはIKEAや大型マンションが建設された。
かつて、この人工スキー場を訪れたオーストリア人スキーヤーは、 「日本人はクレイジー」だと嘆いていたが、かの三井不動産でさえ 事業閉鎖するくらいマーケットは冷え込んだということ。 巨大な冷蔵庫を24時間稼働し続ける莫大な維持費を投資できる日本企業は 今後そうは現れないだろうね。今、思うと規格外の大きさだった。 残念ながら、あんなものを作る活力は今の日本には無いね。
完全空調下での人工雪だから、パウダーもパウダーで 砂糖か塩の中を滑ってるみたいで、ガリガリ雪やベチャ雪のスキー場に行くより 船橋で滑った方が新鮮だったのかも。 また、ザウスと言うと、屋内スキー場にもかかわらず、風力計が設置されていたことが 話題になったことを思い出す。 もちろん、屋内だから1度も回ったことがなかったが、 「スキー場には風力計を設置しなければならない」という規則があったため 200万円ほどの費用をかけて設置せざるを得なかった。 まぁ、これが規制緩和への動きを作るきっかけの一つになったらしいけど。
伊武雅刀のナレーションがインパクト抜群だったTVCMも 「手ぶらでスキー」のキャッチコピーも、当時はかなりセンセーショナル。 施設自体も、スキー素人の自分にとって十分楽しめる立派なもので、 当日、たまたま世界チャンピオンのテューティル・アンドレ・オーモットが 来場するなど、イベントやテストにもよく使われていた。 しかし、バブルが弾け、スキーブームが下火になるとともに 料金も高かったからか、数年のうちに営業終了してしまった。 その後は中国資本が施設を丸ごと買取り、中国国内に移設したと聞いたけど はたして今はどうなってるんだろうか?
大金叩いて屋内スキー場を造って遊んで…豊かさを求める中で咲いた 徒花のように思え、 改めて考えると確かにcrazyでバブリーな施設だった。 屋内施設で言えばプールの「ワイルドブルー横浜」なんかも懐かしい。 このワイルドブルーヨコハマも1992年に開業し、1度も開園当初の目標である 入場者数を達成することなく2001年に閉鎖。やはり9年の命だった。 ザウスにワイルドブルー、完全なるバブルの置き土産。 熱しやすく冷めやすい日本人の性格を考えたら続くわけないね。
近年になってドバイ(アラブ首長国連邦)やオスロ(ノルウェイ)、 ハルピン(中国)などに大規模屋内スキー場が続々新設されている。 なので、屋内スキー場は完全に過去の遺物という訳ではないのだろう。 新型コロナが落ち着き、インバウンドが戻ってきている今、 いつか東京湾岸地区のあたりに、巨大屋内スキー場の建設計画が浮上する…… そんな日…いや、今の日本の経済状況じゃとても無理だな。 あまりにも政府がバカばかりなので国力が弱すぎる。 バブルの再来なんて永遠にないどころか、このまま沈んでいくだけなんだろうな。
今の日本が嘆かわしいくらい落ち込んでいるので、 華やかだった時代を思い出し、かなり懐かしい話でした。
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