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2023年08月30日(水)
8月11日から21日までの夏休み期間中、そして22日〜26日までの コロナ療養期間中のことを書こうと思うが、その前に8月9日の日記で 「長い1日」と書いたが、実はその日、母が亡くなった日である。 8月6日の日曜日の早朝5時台に妹からの電話で起こされた。 母の入っている特養施設から母の具合が悪いとの一報が妹に入って それを知らせる電話だった。 どうやら嘔吐し、吐いたものが肺に入ってしまったようで 血圧や血中酸素濃度の低下がみられるという。 施設に常駐している看護師が診てくれて急を要するまでではないと判断し、 午後には医者も施設に来るので、そこで最終判断した方がいいということになり その日は潮見で練習試合があったので、とりあえずグランドへ。 試合後、そのまま実家のあった上石神井の施設へ行くと 血圧は低いままだったが、血中酸素濃度は落ち着き、母は普通に寝ていた。 とりあえず一番ヤバイ状態は超えたと安心していた。 翌日も次の日も施設に電話で状態を聞いたりしていたが、 血圧は低いままで、自分の口で水分も取れない状態だという。 点滴で水分は補えるが、いつ心臓が止まってもおかしくないとまで言われ ある程度の覚悟だけはしていた。 そして8月9日の早朝4時台に再び妹から急変したとの電話で起こされ かなりヤバい状態だというので急いで施設へ向かった。 しかし、自分も妹も間に合わず、施設の人達に看取られて母は還らぬ人になった。 90歳、認知症も進行し、最近は妹も認識されなくなっていた。 自分が面会に行くと、具合が悪いのか常に寝ていたので、 はたして自分も認識されていたかは不明だ。 しかし飾っている写真に写っている5年前に亡くなった父のことだけは 忘れていなかったようだ。 医者からもらった死亡診断書の死因には誤嚥性肺炎と記載されているが 特に苦しんだわけでもなく、眠るように息を引き取ったという。 たぶん5年前に亡くなった父が自分のことを忘れてしまう前に 迎えに来たのではないかな…5年経ったし、そろそろいいだろ…みたいな…。 そんな風に思えて仕方なかった。
母が亡くなった8月9日だが、その5日前の8月4日に父の妹、 自分にとって叔母にあたる人が亡くなり、その葬儀の日だった。 本来なら葬儀に参列する予定だったが、母が亡くなったため 欠席を喪主である従兄弟に電話で伝えるとものすごく驚いていた。 もしかしたら父だけでなく義妹にも迎えに来られたのかもしれない。 叔母の葬儀に参列するため、前日に喪服をクロゼットから出しておいたが 結局、母の葬儀まで出しっぱなしになるとは…。
葬儀社に連絡したり、その日のうちに葬儀の打ち合わせをしたり、 親戚に連絡したりで悲しむ暇もなく長い1日だった。 もちろん、その日の仕事は臨時休業。 父の時も生前から父が形式ばった葬儀を嫌っていて親族だけの 1日のみの家族葬だったので、母の時も母方の親戚12名のみの1日葬というか、 お別れ会的なものにした。 しかし火葬場が混みあっていたため希望の火葬場だと最短でも9日後の18日。 父と同じ火葬場を希望していたので9日後でも仕方ない。 葬儀まで時間があったので、母方の親戚全員、参列してくれた。
母が亡くなった8月9日は臨時休業し、そのまま夏休みに入っても良かったが 翌日10日は予約があったために仕方なく営業。 そして11日から21日まで夏休みに入る。 さすがに11日は疲れのため完全休養に充て、夏休み期間中に母の葬儀もあるので 12日は伸びた髪を切りに床屋に行ってきた。 さらに16日〜17日は義母や義姉夫婦と一緒に美穂の父方と母方の墓参り。 16日に駒込にある義父方の墓参り後、水天宮のロイヤルパークホテルに1泊し 17日に東中野にある義母方の墓参り。 翌18日が母の葬儀があり、19日は自分の還暦を祝ってくれたチャーミン家、 ノリゾー家、テッチャン家を京橋のシュラスコに招いて会食。 もう怒涛の夏休みで身体が疲れていて免疫力も落ちていたのかもしれない。 この19日のシュラスコがその後、襲ってくるコロナ発症の原因だったかも。
というわけでコロナ発症から療養期間についてはまた明日にでも。
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