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2021年10月19日(火)
今日、西武ドームで平成の怪物と言われた松坂大輔の引退試合が行われた。 打者1人に対して5球を投げて結果は四球。 球速は118キロしか出ていなかったが、やはり松坂には18番が似合っていた。
松坂大輔と言えば横浜高校のエースとして甲子園で大活躍し、 1998年の第70回センバツ高校野球大会と第80回全国高校野球選手権で優勝、 春夏連覇を達成した。 今でこそ毎年、高校生が最速150キロを投げると話題になるが、 高校野球、しかも甲子園で初めて150キロを投げたのが松坂だった。 ちなみに、この年にもう1人、甲子園で150キロ以上を投げた選手がいた。 その当時の高校生最速の151キロを投げたのが元ソフトバンクホークスで 沖縄水産高校のエースだった新垣渚である。 横浜高校というか松坂の夏の甲子園の勝ち上がり方も凄かった。 準々決勝のPL学園とは延長17回250球を投げて完投勝利し、 準決勝の明徳義塾とは6対0から松坂がマウンドに登ると大逆転、 結果、サヨナラ勝ちで決勝進出。 そして決勝戦では京都成章を相手になんとノーヒットノーランでの優勝と まるで野球漫画にもないような劇的な展開で今でも伝説となっている。
この時の同級生は全国にもスゴイ選手が大勢いた。 プロ野球に入ってからも活躍した選手が沢山いて、その年代を総称して 「松坂世代」という言葉が誕生したくらいだった。 今、活躍している選手が多い年代の事を、年代や一番活躍している選手の 名前を取って〇〇世代と言っているのも、この頃からだと思う。 埼玉西武ライオンズに入団してから1年目に最多勝と新人王、 その年から3年連続最多勝は高卒選手では初めてのことだった。 イチローとの初対決では3打席連続三振を奪ったのも鮮烈だった。 ボストンレッドソックスに入団した年にはいきなりワールドチャンピオンに。 第1回・第2回のWBC連覇の時の2大会連続MVPなど まさしく「平成の怪物」だった。 ここ数年は怪我との戦いだったが日米通算170勝、記録にも記憶にも残る 本当に素晴らしい投手だった。
引退試合では背番号も入団当時の18番のユニフォームを着たが、 やはり松坂にはエースナンバーがよく似合っていた。 できれば今のユニフォームではなく、当時のライオンズカラーの ユニフォーム姿が観たかったけど。 高校野球、プロ野球、メジャーリーグでずっと活躍している姿を見てきたので 引退は寂しさもあるが、何年後かにはまたコーチや監督でユニフォームを着て スタジアムに立っている姿が見たい選手だ。 本当に長い間、お疲れ様でした。
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