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2020年10月22日(木)
その昔、吉祥寺に「お好み焼きハウス コンパス」という 風変りなお好み焼き居酒屋があった。 高校生コンパの登竜門のような店で、なぜか高校時代からよく通っていた。 高校1年の時、先輩に連れて行ってもらったのが最初だったと思う。 それが伝統のように後輩へ継がれていった。 TAKA Qのすぐ近く、レンガ館の側面の通路を挟んだビルの地下1階にあった。 ちなみに2階は「チャチャチャ」3階は「こけし」だったかな。 その店は、まったくお好み焼き屋に見えない看板&店内そして名前。 タバコ屋の横から直接、階段を下りて店に入ると、そこは薄暗い ちょっとしたバーみたいな雰囲気。 あの怪しげな雰囲気が好奇心旺盛な高校生の心を刺激していたのかも。 店内はかなり暗かった印象がある。 確か壁はレンガっぽかったような。そしてテーブルとイスは木製だったっけ。 うまく言葉で言い表すことができないが木製二段ベッドが組んであるような席もあった。 あと靴を脱いで入る絨毯の席では寝ることもできたっけ。 とにかく中の雰囲気は怪しげだった。 今では絶対に消防法は通らない作りだったな。
若かりし高校時代、この店でよく「コンパ」をやったもんだ。 まぁ、そういうのが盛んな時代だったからね。 制服着ているのに酒もタバコも気にすることなく全然OKだった時代。 なんせ店内が暗いので制服とか分からないし。 でも店内は暗かったけど、何かみんなが希望に輝いてた時代だったな。 その後、大学時代も何度か通ったりしたけど、大学3年になった時に 校舎が高尾から茗荷谷になったので吉祥寺自体に行く機会もめっきり減った。 数年して訪れた時、同じ場所に行ったらコンパスはもうなかった。 ビル自体が新しく建て替わってた。 ほんと1980年代の良き思い出の場所だ。
同時に吉祥寺のサンロードにある「ルーエ」という喫茶店もよく行った。 たぶん吉祥寺じゃ一番大きな喫茶店だった。 1階が満席でも2階に上がれば必ず座れた。 あの頃、コーンフレークの土台にソフトクリームが乗ったジャンボパフェが500円。 甘いものが食べたくなった時、ルーエに入ってよく食べたっけ。 現在「ルーエ」は同じ場所で「ブックス・ルーエ」という本屋になってしまったが いつ喫茶店から本屋になったのかは全く知らない。
中学、高校、そして大学2年までの約8年間、吉祥寺は庭のような場所だった。 遊びに行くなら吉祥寺。買い物に行くにも吉祥寺。 吉祥寺に行けば何でも買えたし、仲間にも会えた。 中学時代、自宅から自転車で行ける唯一の繁華街だった。 王道のサンロードとは違い、東急チェリーナードやダイヤ街は個性的な店が多かった。 行列のできる羊羹で有名な「和菓子店小ざさ」やメンチカツ目当ての客で 常に行列のできている「松阪牛専門店サトウ」 「キムラヤ」や「ロヂャース」もあったな。 JRの高架下にあった「吉祥寺ロンロン」は今や「アトレ吉祥寺」に変貌。 デパートも「緑屋」「丸井」「伊勢丹」「近鉄百貨店」「東急百貨店」と 何気に多くのデパートが軒を並べていた。 今では「東急百貨店」しか残っていないけど。 中学時代、緑屋の上にあった貸しスタジオでバンドの練習をしたのも良い思い出だ。 当時、吉祥寺に唯一あったディスコは「SHIRO」でブラック系の音楽だった。 駅前で割引券を配っていたので大学時代に友達と1回だけ行った記憶があるが、 新宿にあったディスコビル東宝会館の「XENON」や 東亜会館の「カンタベリーハウス」に通っていた者にとっては ちょっと系統の違う音楽だったので30分くらいで出たな。
ほんと80年代の吉祥寺は今では考えられないほど魅力的な街だった。 もう、なかなか行くこともない街になってしまったけど。 ちなみに禁断の近鉄デパートの裏にもお世話になったなぁ(^^;) 「アラン・ド」とか屋上に自由の女神が立っていた「ニューヨーク」とか。 この自由の女神は中央線からも見えて吉祥寺の裏ランドマーク的な存在だった。 あとカネのない時は名前は忘れたけどレンタルルームが重宝した。 確か部屋の名前が歌謡曲で「E気持ち」とか「魅せられて」だったような。 今じゃ武蔵野市が力を入れて近鉄裏に図書館とか公民館を作って浄化したので、 あの頃にあった怪しい店やラブホはきっと一掃されて マンションばかりが建っているんだろうな。 とにかく80年代の吉祥寺は全てがキラキラと輝いている街だった。
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