|
2011年10月06日(木)
先日、日本競馬史上初の無敗三冠馬であるシンボリルドルフが亡くなった。 史上初の無敗の三冠馬だけでなく天皇賞、ジャパンカップと 2度の有馬記念も含めると七冠馬。 シンザン・ハイセイコー・テンポイントなど歴史ある競争馬の中でも 最も知名度の高い名馬ではないかと思う。 30歳で老衰、いや新聞などでは30歳と書かれているが、 現役時代の年の数え方(2000年までの数え方)では31歳になる。 馬の1歳は人間で言うと3〜4歳なので90歳〜100歳での大往生だ。
ちょうどシンボリルドルフが全盛時、1984年〜1985年は 自分が大学生で競馬を始めた頃でもあった。 そして、初めてファンになった馬がシンボリルドルフだった。 しかし、あまりにも強すぎて競馬自体の面白味がなく、 シンボリルドルフで儲けさせてもらった記憶はない。 強すぎて倍率が付かなかったからね。
シンボリルドルフの逸話は数ある。 その中でも、あの名騎手・岡部幸雄に「競馬を教えた」馬でもある。 ダービーで岡部幸雄のゴーサインには反応もせず 「自分の仕掛け」で堂々と勝った。 その時に岡部騎手は「そろそろ行くよ、しっかりつかまってな」と シンボリルドルフの声を聞いたという。 「大地を弾ませた」追い込みで三冠を取った1歳年上の三冠馬 ミスターシービーには1度も先着を許さず、ファンに憎まれるほどの強さだった。 強さ故に「人気者」では無かったのかもしれない。 だが、完璧なレース故に他を寄せ付けない「皇帝」だった。 岡部幸雄はその後トップジョッキーとなり、シンボリルドルフの世話してた 厩務員の藤沢和雄はリーディングトレーナーになった。 トレーニングの相棒役を唯一勤められたシリウスシンボリはダービー馬になった。 そして初年度産駒から「帝王」ことトウカイテイオーを輩出し親子二代の顕彰馬。 一頭の名馬が周りを全て変えた。強さは「孤独」ではなかった。 「人生の一部です」と岡部幸雄の言葉が涙を誘った。 岡部幸雄が騎乗して1984年に皐月賞、日本ダービー、菊花賞の クラシック三冠を無敗で制し、さらに同年の有馬記念も制した。 中央競馬での三冠馬は セントライト シンザン ミスターシービー シンボリルドルフ ナリタブライアン ディープインパクト わずか6頭で無敗での制覇は長い中央競馬の歴史の中でも シンボリルドルフとディープインパクトの2頭しかいない。
翌1985年は天皇賞(春)、前年に唯一勝てなかったジャパンカップでリベンジ、 さらに2年連続で有馬記念を制した。 主な産駒にトウカイテイオー、ツルマルツヨシなどがいて、 トウカイテイオーで父子2代での無敗2冠を成し遂げた。 結局、16戦13勝。 完璧な成績は「皇帝」の称号にふさわしい。 神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフから付けられた馬名で、 誰からも「皇帝」のあだ名で呼ばれていた。 ちなみにGI通算7勝はJRAのGIでは現在でも最多タイの記録らしい。
シンボリルドルフの競馬で一番の思い出は、 初めて負けた1984年のジャパンカップだ。 ミスターシービーとシンボリルドルフの三冠馬対決で日本中が沸いた。 なんとなくバブルの足音が聞こえてきた時代でもある。 菊花賞を完璧な強さで取って、中一週で挑んだルドルフ。 疲れが残っていると思われ3番人気だったが、 自分は当然、ルドルフが勝つもんだと思い、 他の外国場は知らないので、シンボリルドルフの単勝と シンボリルドルフから1番人気ミスターシービー、 10番人気のカツラギエースと日本馬の入った枠連馬券を買った。 (当時は単勝、枠連、複勝の馬券しかなかった) ところがスタートからカツラギエースが絶妙な逃げを展開し鮮やかに逃げ切った。 2着には11/2馬身差で2番人気イギリスのベッドタイムが滑り込み、 シンボリルドルフは2着とアタマ差の3位。 ちなみに1番人気だったミスターシービーは馬群に沈んで10着だった。 まさかシンボリルドルフが負けるとは思わなかったと同時に、 なんでカツラギエースの単勝馬券を買っておかなかったんだと後悔。 なぜなら、ルドルフの単勝も買ったが、カツラギエースの馬券も買おうか 窓口直前まで悩んでいたから。単勝は4000円以上ついたと思う。 当時から逃げ馬が好きだったので、買おうかかなり悩んだ。 買っておけば…と後悔したのを覚えている。
結局、シンボリルドルフが負けたのは、このジャパンカップで カツラギエースに負けたのが最初。 しかし約1ヶ月後の有馬記念では1着でカツラギエースが2位。 翌年のジャパンカップは圧倒的強さで1着だった。 その他の2敗は、1985年の秋の天皇賞で完璧な横綱相撲と思われた瞬間、 外からギャロップダイナに捕らえられ2着だった時と、 1986年、世界を目指した第一戦で、まさかの故障をした アメリカでのサンルイレイSのみ。(6着) この時の故障が原因で引退を余儀なくされたが、 その引き際もスマートで潔かった。
冷静なスタートから好位置につけ、引っ掛かることもなく 直線ですんなり抜けて勝つという「ルドルフ戦法」は 確かにドラマを欲するファンからは退屈すぎると言われたかもしれない。 最後の直線に向いて先頭に立ち、並んできた相手に対して怯む事なく、 まるで「ついて来いや!」と言わんばかりに並ばせる事を許さず引き離して行く。 まさに横綱相撲の勝ち方だった。 穏やかに眠るように息を引き取ったと記事で読んだ。 無事これ名馬とは良く言ったもので、安楽死させなくてはいけない位、 痛みを感じて死んでいく馬が多い中、シンボリルドルフは本当に名馬だった。 「皇帝」の名にふさわしく、凛とした風格のある馬、 額に輝く三日月がトレードマークの綺麗な馬、 昨年7月に25歳で死んだオグリキャップに続き、 昭和を彩ったスターホースがまた1頭、静かにこの世を去った。 日本競馬史上最強馬は?と聞かれたら、迷わず答える。 それは「シンボリルドルフ」だと。 今後もそれは変わらないだろう。 お疲れ様でした。
ネットを探していたらシンボリルドルフのレース実況がテキスト化されていた。 実際のレースはYou Tubeでも観られるが、実況のテキストは珍しい。 保存の意味も込めて全文引用。
◆1984年皐月賞(1着シンボリルドルフ) 「さあルドルフか、ビゼンか!ルドルフか!ルドルフが出た!こっからが強い!こっからが強い!無敗の皐月賞馬が誕生しました! 2着にはビゼンニシキ!いい競馬です!いい皐月賞です!」 (盛山毅アナウンサー)
◆1984年日本ダービー(1着シンボリルドルフ) 「シンボリルドルフ!初めて苦しい競馬を致しました!しかし勝ちました!しかし勝ちました!日本のサラブレッドから世界のサラブレッドへ飛躍するために、その第一関門を突破致しました!」 (盛山毅アナウンサー)
◆1984年菊花賞(1着シンボリルドルフ) 「物凄い脚だ!物凄い脚だ!来たぞ来たぞ来たぞ!シンボリ来た!シンボリ来た!しかし外からゴールドウェイだ!外からゴールドウェイ! シンボリが先頭に立った!シンボリが先頭に立った!大歓声だ!大歓声だ京都競馬場! 赤い大輪が薄曇りの京都競馬場に大きく咲いた!! 3冠馬8戦8勝! わが国競馬史上、不滅の大記録が達成されました京都競馬場!」 (杉本清アナウンサー)
◆1984年有馬記念(1着シンボリルドルフ) 「先頭はカツラギ!カツラギ先頭!ルドルフ!カツラギ!シービー来る!シービー4番手!スズマッハ頑張る!ルドルフ出た!ルドルフ出た!カツラギ頑張る!カツラギ頑張る!シービー来る!シービー3番手まで!シービー3番手まで!優勝はシンボリルドルフ!シンボリルドルフ優勝です!今年の日本一!」 (盛山毅アナウンサー)
◆1985年天皇賞春(1着シンボリルドルフ) 「シンボリルドルフ先頭だ!シンザン以来20年ぶりの5冠馬!そして僅かに外、サクラか!サクラガイセンが外!そして内にいたのが赤い帽子スズカコバン!20年以来、20年ぶりのシンザン以来の5冠馬です!シンボリルドルフです!」 (杉本清アナウンサー)
◆1985年天皇賞秋(1着ギャロップダイナ) 「さあ横に広がった!横に広がった!最後の坂であります!ルドルフ先頭だ!ルドルフ先頭であります!その外からウインザーノット赤い頭巾も馬体を併せて来た!残り200Mを切りました!残り200を切ってニホンピロウイナーも来ているぞ!ルドルフそしてウインザーノット!外のほうからニホンピロウイナー!そしてギャロップダイナも来ている!しかしルドルフ出た!ルドルフ出た!ルドルフだ!外のほうからギャロップダイナ!外からギャロップ〜!あっと驚くギャロップダイナ!根本康広! 」 (堺正幸アナウンサー)
◆1985年ジャパンC(1着シンボリルドルフ) 「ルドルフ先頭!ルドルフが先頭で坂を上がった!ルドルフ先頭!ロッキータイガー来る!公営の星が追い込んでくる! ルドルフ頑張った!ルドルフ頑張った! 1馬身、2馬身!開いた開いた!ロッキーが来る!ルドルフ先頭!ルドルフが圧勝!2着にもロッキータイガー!日本の中央競馬、公営競馬のナンバーワン同士が1着2着を分け合いました!シンボリルドルフ!皇帝の強さを世界の前に見せつけました!」 (盛山毅アナウンサー)
◆1985年有馬記念(1着シンボリルドルフ) 「皇帝と若武者の対決になった! 第4コーナー回った!ルドルフ出た!ルドルフ先頭だ!ギャロップも来ている!ミホシンザン来た!さあ2強の対決が見られるか!直線です!シンザン!そしてルドルフ!ルドルフ出た!ルドルフ出た!ルドルフ出た!世界のルドルフやはり強い!3馬身4馬身!日本のミホシンザンを離す!日本最後の競馬!最後のゴールイン!ルドルフ圧勝致しました!」 (盛山毅アナウンサー)
|
|
|