Web Masterの日記



ガンバレ工藤

2009年11月16日(月)

唯一、自分と同い年のプロ野球選手である工藤公康が
16年ぶりに西武ライオンズに復帰した。
1981年の夏の甲子園2回戦で名電高のエースとして
金属バット採用後初めてのノーヒットノーランを記録し、
チームをベスト4に導くも次の準決勝の報徳学園との試合で敗戦、
その時のインタビューが強烈だった。
「これ以上、勝ち続けると夏休みがなくなっちゃう」
今と同じ半笑いの顔でこう言い放った。

同い年ということもあり、プロ入り前から注目していた。
そしてドラフト6位でライオンズに入団。
すでに熊谷組への就職が決まっていたにもかかわらず強行指名した
当時の根本陸夫管理部長の「根本マジック」が炸裂、
この時の契約金がドラフト6位ながら1位の伊東勤と同額という破格の扱い。
高卒ルーキー1年目の開幕ベンチにも座った。
それからアッという間にライオンズのエースとして君臨し、黄金期を作った。
その後、ホークス→ジャイアンツ→ベイスターズと渡り歩き、
ライオンズを含む3球団で優勝と日本一を経験。
来年は47歳になるが、再びライオンズのユニフォームを着ることになった。

一昨年、圧倒的な力で日本一に輝いたライオンズの今季は
Bクラスの4位でクライマックスシリーズへの進出を逃した。
中継ぎ投手陣の再整備が重要課題なので、
投手事情からは工藤の活躍する余地はある。
古巣のライオンズで、もうひと花咲かせてほしい。
それよりも工藤の存在自体が若い投手達にとっては参考書のようなもの。
教えるのも上手だと思うし、ライオンズは将来の良いコーチを獲得したと思う。
親子ほど年の離れた同じ左腕の菊池雄星にとっても力強いお手本になりそうだ。
なんせ菊池雄星が生まれる前からエースだったんだからね。
唯一の黄金期V戦士の生き残りとして、若手に多くのことを継承してほしい。
それに比べ、ベイスターズは本当にバカだ。
こんな良い教科書を出してしまうなんて。
このあたりが強いチームと弱いチームの違いと感じたな。

ライオンズに復帰する工藤の背番号は「55」。
現在「47」は同じ左腕の帆足が付けていたが、
帆足は「喜んで譲る」と言ったものの
「若くて旬な選手に気を遣わせたくない」と工藤本人が断った。
これも何か工藤らしくていいね。
元々「47」は工藤に憧れていた帆足が2001年にライオンズに入団以来、
何度も「47番」への背番号変更を訴え、2006年にようやく認められた経緯がある。
そんな帆足から「47」を奪うことをしなかった工藤はさすがだ。
だけど本音を言えばライオンズの「47」を背負った工藤が見たかった。
特に昔のユニフォームを着て試合に臨むライオンズクラシックで
「47」を付けた工藤の姿を見てみたかったな。

そういえばライオンズだけでなく工藤の去ったホークスやジャイアンツを見ても
ホークス杉内、ジャイアンツは山口と「47番」は左腕の代名詞の番号になっている。
「47」という背番号としては大きな数字を、左腕の代名詞にした功績は大きい。

そんな工藤も来年は奇しくも長年愛し続けてきた「47」と同じ47歳。
同世代じゃないと分からないとは思うが、実力主義のスポーツ界で
活躍を続けていくということがどれほど大変なことか…。
工藤と比べること自体が、おこがましいが自分も草野球を続けて20年、
26歳の時に創めたチームも20年が経ち、年齢も当時から20歳がプラスされた。
20代や30代前半の頃は「衰え」なんて考えられなかった。
しかし、やはり最近は疲れが取れにくいし、古傷の痛みも頻繁に出る。
正直、ツライことも多い。
落合やノムさんが現役を引退した年齢も超えてしまった。
だけど、同じ高校生の頃から見てきた同い年の工藤の頑張りは
自分にとって大きな励みになっているのは事実である。
この年齢で、あれだけ体が動くということは日々の努力の賜物だと思うが、
これからも己の肉体と精神に鞭を打って、頑張ってもらいたいものだ。
サッカーのカズやゴンも同様だが、すでに引き際とか批判とかは
超越した存在だと思う。
ここまで来たら、できる所まで力いっぱいやってほしい。
そう、リアル岩田鉄五郎を目指してもらいたい。
そうすれば自分もまだまだ頑張れると思うし。

工藤は渡辺監督の2歳年上なので、お互いやりにくいと心配する人も多いみたいだが、
うちのチームでいえば自分とテッチャンみたいなもん。
別にテッチャンが監督のチームに自分が入るのに抵抗は感じないように
2人にとって何の心配もないと思うな。
前橋工1年の渡辺久信と名古屋電気高校3年の工藤公康。
甲子園でマウンドを共にしたあの日から…なんか感慨深いね。

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