Web Masterの日記



久々の時事ネタ

2008年05月15日(木)

術後2週間が経ったが、なかなか瞼の腫れが引かないなぁ…。
まぁ、完全に腫れが引くには1ヶ月以上はかかるものだと知っていたし、
医者にも言われてはいたものの、早く引いてほしいものだ。
ここ最近は自分の入院&手術の日記が多かったので
久しぶりに時事ネタ何本か書いてみたいと思う。


まずは、
硫化水素自殺について思うこと

4月29日に硫化水素自殺について書いたが、
その後も硫化水素自殺が後を絶たない。
だけど、よく考えてもらいたい。
硫化水素自殺は自殺ではなく無差別殺人であるということだ。
マスコミは自殺自殺と大騒ぎしているが、なんか論点がずれている。
硫化水素ガスの場合、周辺住民はもちろんこと、
捜査をする警察官にだって死が及ぶ可能性があるわけだ。
つまり、未必の故意が成立するというわけだ。

ホテルの一室やらマンションの一室で硫化水素を使って自殺をして
周囲に多大な迷惑をかけるバカ者が多いが、未必の故意が成立しているので
マスコミは自殺した人間の氏名を公表すべきだと思うよ。
これは硫化水素自殺に限らず、いつだか起きた池袋パルコから飛び降りた女性など
人を巻き込む可能性があった自殺に関しては、
氏名公表の強攻策を採用しても悪いことではないと思う。
だいたい、身体もキレイに死ねて(実際はそうではないらしいのだが)
氏名も晒されないなんて、都合が良すぎるのではないか?
それに、氏名を公表することが、実は硫化水素自殺の
抑止力にもなるのではないだろうか。

起きたことを報道しても何もならない。
どうしたら抑止できるか?それを考え、提案し、伝えていく報道をしてもらいたい。
それがマスコミという権力を有効に使う手段だと強く思ってしまう。


続いては
次は車が迫害?

先日、可決された道路特定財源の一般財源化について
「車に乗る人間だけから余計に税を徴収するのは公平ではない」
という意見があったそうだ。
これに対する反論として「クルマはCO2を排出して地球温暖化を加速するから、
その分の税負担をして当然なんだ」という意見も目にしたが
これって、なんだか昔のタバコ税を見るようなデジャヴを感じた。

国産の主力煙草の価格変遷を調べたところ
(昔はセブンスター→マイルドセブンという専売公社・JTの主力銘柄)

1970年 100円
1975年 150円
1980年 180円
1983年 200円
1986年 220円
1997年 230円
1998年 250円
2003年 270円
2003年 300円

このように推移した。
わずか33年間で3倍に急上昇している。
こんな商品はタバコ以外、他にはないだろう。
この原因はタバコ税がどんどん値上げされたためなのは一目瞭然。

増税に関しては、野党や国民の抵抗が大きいものの、
タバコへの増税に限ってスンナリ通った背景には
「タバコは社会の害。みんなに迷惑を掛けるのだから、
どんなに税金を取っても構わない。税金を払うのが嫌ならタバコなんか吸うな」
という風潮が昔からあったからだろう。
さらに欧米並みに「タバコは500円でも1000円でも構わない」
という意見もよく聞くが、これには政府はあまり乗り気には見えない。
なぜなら、すでに喫煙者が大幅に減少して増税しても、
それほど効果がないからなのだろう。
値段が高くなりすぎたら喫煙者はさらに減少し、
税収も減ってしまうと考えている。
それよりも、むしろ
「車は環境を破壊する。車に乗ってる人間からはもっと税金を取っても構わない。
払うのが嫌なら車なんか乗るな」という昔のタバコのような風潮を高めた方が、
よっぽど効果的なのかもしれないと考えている政治家が多いのかも。

しかし、タバコは生活に必要不可欠な物ではないが、自動車は必要不可欠な物だから
タバコと比べるには根本的に異なるという意見も出そうだ。
確かにそうだが、現在は「ひと仕事後の一服は格別」なんて愛煙家の意見は
完全に封殺されている世の中である。
同様に、輸送などの必要な自動車の使用は仕方ないが
「ドライブが一番の楽しみ」などという車好きの個人的な嗜好に対して、
「そんな自己満足のために大気汚染を起こすことなど許さない」
という社会が到来しないと断言できる根拠は全くないのだ。

悪者が言い返せない正しい意見は、時に最も危険である…。


もひとつおまけに
船場吉兆の使い回し

船場吉兆の使い回し事件をあれこれ考えるにつけ、過去の思い出が甦った。
大学時代、仲間たちと焼き鳥屋に飲みに行った時、
食べ終えた焼き鳥の串を何気なしにポキポキ二つ折りにした友人がいた。
それを見た店主が血相を変えて
「これは洗ってまた使うのだから止めろ!」と怒鳴られた。
てっきり捨てる物と思っていたので意外に思った。
なぜなら、食べ終えた串を爪楊枝代わりに
歯に挟まった食べかすをほじる輩もいるのを考えると、
いくら洗うとはいえ再利用は気持ち悪い気がするのだが、世間はどうなのか?
コップや皿などは洗って何度も使うものだから、
串も構わないという意見もあるのかもしれない。
船場吉兆のあしらいの再利用も同じ感性なのだろうか?

それと、やはり大学時代の飲み会(当時はコンパと言っていたっけ)の思い出。
同学年に周りでも結構、人気のある可愛い女の子がいて、
飲み会では誰かが必ず彼女を誘っていた。
彼女もコンパ好きらしく、よく参加したので一緒に飲む機会も多かった。
だけど、自分は彼女が苦手だった。
理由は大雑把な性格と、とにかく料理を頼みまくるから。
なので、いつも飲み会が終わる時には大量の食べ残しが残されていた。
ある時、酔った勢いで再注文する彼女に忠告したことがある。
「いつも食べられないんだから少し考えて頼めば?」と…。
すると彼女は不満そうに
「何も食べる物が無くなってるのって寂しいじゃない。
そんなに高い物じゃないんだから別に残ってたっていいじゃない」

ここで価値観のズレを感じた。
彼女の方も自分がケチってそんな嫌味(飲み代は男連中の割勘が常)を
言ったと思ったらしく、それ以来は嫌われたようで、
飲み会で同席する機会は減った。
もともと苦手のタイプだったし、ある意味で清清したけどね。

料理の使い回しなど言語道断の所業であるのは間違いない。
同じ食べ物を扱う職業の人間として絶対に船場吉兆の行為は許せない。
しかし別の問題は、料理に箸も付けず、持ち帰りにもせず、
そのまま下げられて残飯として廃棄されることに全く何も感じず、
それが当然と思っている人間の方にも少なからず有るような気がしている。

うちの店でもたまに、お喋りに夢中で頼んだ料理に全く手も付けず
結局、食べないで帰る客がいる。
それらをそのままゴミ箱に捨てる時って、なんだか複雑な気持ちだ。
なんで注文したのか?
食わないなら頼むなよ!
「金さえ払えば注文した物をどうしようが勝手だろ」
そう反論されそうだが、しかし人としての資質を疑ってしまう。

また、にぎやかし目的の無駄というのも世の中には沢山ある。
たとえばホテルのビュッフェやバイキングなんて、
客が盛りに行った時に不足していては客の不満を買うから、
必ず余らせるのを承知で作らないといけない。
スーパーやコンビニも品揃えが悪いと客離れにつながるので
悪い印象を与えないよう、余分に仕入れては賞味期限切れの商品を処分する。
まぁ、一部で飼料や肥料に再利用する取り組みも見られてはいるものの、
一度、人間仕様に味付けしてあるので、コスト高、賄いも量が限られる…。
擁護するつもりは毛頭ないが、船場吉兆も
「地球環境を考えて再利用しました」とか開き直っても面白かったかもね。

飽食日本と言われて久しい。
反面、自国の食料自給率はたった39パーセントしかない。
輸入が全面ストップした時点で100人中60人は食糧にありつけない状況になる。
最近は小麦が値上げとか、バターが品薄とか、食品危機の話も多くなってきた。
ならば、どうせなら、もっともっと事態が深刻になり、
まともに三食摂ることすら困難な状況になってしまえば面白いと、
やや自虐的に思ってしまう自分もいる。
そこまで堕ちれば、少しは食い(悔い)改めるかもしれないだろうし。

まぁ、今のところ、最も効率的に食品処理しているのは
残飯を漁るホームレスなのかもしれないねヾ(・ω・o) ォィォィ


さすがに書き疲れた(+。+)

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