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2007年09月05日(水)
小泉前政権から「格差社会」という言葉が多く使われている。 現在の所得格差をめぐっての言葉である。 「ワーキング・プア」は、その象徴的な存在だろう。 汗水たらして働いても、生活保護以下の収入しか稼げない。 そんな境遇では、労働意欲も失われて当然だ。 よって「ネットカフェ難民」や「ニート」も増えて 社会の悪循環となってしまう。
かつてマルクスは、資本家から搾取されて貧困にあえぐ労働者に 「万国の労働者よ団結せよ!」と呼びかけた。 マルクスにとって資本主義とは、生産手段を独占した資本家が、 労働者(プロレタリアート)を安い賃金で働かせ、 賃金以上の商品を生み出すことで「儲け」を独占するシステムだった。 資本主義が続く限り、労働者は労働の充実、ひいては豊かな人生を得られない。 よって「資本家階級を打倒し、労働者階級を解放せよ!」というのが いわゆるマルクス主義の階級闘争論だ。
格差が開きつつある現在、マルクス同様に資本主義に冷酷さを感じる人も多い。 しかし、ソ連が崩壊し、私有財産を認めない「共産主義」が 幻想でしかなくなった今、資本主義に変わる制度はおそらく存在しないだろう。 一国単位で考えるならば、全体のパイを増やすことで たとえ格差があろうと豊かさは実現できるはず。 現在だって日本は最も豊かな国の一員であり、途上国のように 毎日、餓死者が続出するような社会ではない。 その程度に資本主義は成熟を遂げてきたのだと思う。
資本主義ゆえの不幸と幸福。 その収支がどちらに傾くかは個人によって違うが、 パイの増加(経済成長)と、その再分配、さらには機会の平等の保証は これからも政治の課題でもある。 かつての日本型資本主義は、終身雇用と年功序列によって、 労働者の生活は守られていた。 昭和30年代、高度経済成長期は貧しさの中にも活気が溢れていた。 今や終身雇用も年功序列も過去となっている社会で 日本の政治はどのような資本主義で国民を幸せにしてくれるのか…。 安倍政権に期待していいものなのか…。
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