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2007年06月11日(月)
常勝軍団の西武ライオンズが28年ぶりの10連敗で最下位に沈んでいる。 28年前の1979年ってクラウンライターライオンズから西武ライオンズになった年。 九州から埼玉に球団が移動して、選手も寄せ集めばかりなので 確かにあの頃は今の楽天よりも弱い球団だったな。 しかし、黄金時代を築いてからは常にAクラスを確保するまでになったのに いったい、西武ライオンズに何が起こったのか?
松坂がメジャーに行った穴は確かに大きかったが、 涌井や岸など若手の台頭もあり、シーズン序盤は6連勝もあって 一時は首位にも立っていた。 ところが裏金問題でケチが付き、さらに今度は 球場や二軍にネーミングライツしているグッドウィルグループのコムスンが 世間を騒がしダメダメである。 親会社やスポンサーのゴタゴタで、選手が平常心で 野球をやれない状態なのかもしれない。 球団創設年以来28年ぶりの10連敗だけでなく、 最近のライオンズの星取を見ると、 ●●●●○●●●○●●●●○●●●●●●●●●● このように連勝が全くなく連敗だらけの試合結果。 当然、交流戦順位も最下位で2勝14敗といった結果。 すでに交流戦の負け越しも決定し、このトンネルに出口が見えるのはいつなのか? このままでは非常に厳しい状態だと思う。 昨年、日本一となった北海道日本ハムがシーズン当初は、 小笠原や新庄の抜けた穴が大きく最下位にいたが、 若い投手陣が踏ん張ったことにより打線にも活力が出て 一気にチーム新記録の14連勝を果たし、首位の千葉ロッテに肉薄するまでになった。 ライオンズもこれ以上、負けが続くといくらクライマックスシリーズがあるとはいえ、 3位以内に入ることは厳しくなってくるだろう。 なんとか暗いトンネルに明かりを見つけなければならない。
以前は憎らしいほどに強かった常勝西武。 九州から球団が来た時は、西武線沿線に住んでいた者としては嬉しかった。 最初は本当に弱いチームだったが、当時、西武線各駅の駅員は レオマークの入ったライオンズ帽をかぶって会社一体となって 西武線を使う人たちに認知度を高めようと頑張っていた。 弱いライオンズから常勝と呼ばれるまでを知っている自分からしたら やはり西武が弱いのは寂しい気がする。
広岡監督の築いた時代は石毛、田淵、金森、立花、山崎、スティーブ、テリー、片平など 野武士的で豪快な打者が多く、投手陣も東尾を中心に松沼兄弟、森(繁)、杉本、永射など 個性的なピッチャーが多かった。 森監督になってからは、まさに黄金時代が到来。 1番辻、2番平野、3番秋山、4番清原、5番デストラーデ、6番石毛、7番田辺、 8番伊東と続く打線は切れ目がなく、 投げては工藤、渡辺久、渡辺智、石井丈、潮崎、鹿取と全く恐ろしい布陣だった。 代打は苫篠や安部(理)など層が厚かったな。 あの頃が本当に懐かしい。 なので、もう少し西武には頑張ってもらいたいものだ。
話は変わり、パイレーツの桑田真澄が、20年来の夢を実現した。 投手として、野球人として「この日ほど喜びがこみあげる日」は 他にはないかもしれないだろう。 元巨人の桑田は、戦力外通告という屈辱から「大好きな野球をする」ために、 これまた夢に描き続けたメジャーリーグへの挑戦へ。 マイナー契約でスプリングキャンプは所謂若手と同じ 「サバイバル」下克上の状態からアメリカの野球へ挑戦していた。 しかし順調に来ていたからこそ悔やまれるオープン戦での審判と激突し、 重傷の捻挫をしてしまい「これでジ・エンドか」と本人も周囲の関係者、 そして桑田を見つめるファンが思ったに違いない。
しかし、桑田はこれまでも逆境に強く、苦境での粘り強さは 尋常ではないキャリアがあり、今回も「野球を信じ、己を信じ」 まさに一歩、一歩、階段を上ってきたといえる。 足首の負傷で歩くことも出来ない状況から、よくも這い上がってきたものだ。
そしてメジャー昇格から初登板の相手は名門ヤンキース。 これ以上ないセッティングではないか。 39歳のオールドルーキーが初めてメジャーのマウンドにの立つのは、 あのベーブルースの家と言われるヤンキースタジアム。 桑田本人はもちろん、関係者も万感の思いでこみ上げるものがあったに違いない。 まさに「野球の神様に感謝したい」これは桑田本人だけではない。 野球を愛する全てのスポーツファンの共通の思いだろう。 こんなことが本当にあるのだから「野球は何が起こるかわからない」 そして楽しいスポーツなのだ。
夢にまで見たメジャー。そしてヤンキースを相手にオールドルーキーは 2回を投げ2失点。Aロッドに一発を見舞われただけで 基本的には崩れないピッチングだった。 次はもっと期待できるのではないだろうか。 桑田真澄の夢伝説の第2章は今始まったばかりだ。
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